偽りの香りで
偽りの香りで
店に足を踏み入れた瞬間、項垂れた彼の背中が目に飛び込んでくる。
彼が“彼女”と初めて出会ったバー。
そのカウンターの端っこで、壁に身体を凭せかけている彼。
近づいて斜め上から彼を見下ろす。
ウィスキーの入ったグラスを斜めに傾けた彼は、カウンターの向こうでカクテルを作るバーテンダーを生気のない目でぼんやりと眺めていた。
「飲まないならもらうわよ」
彼の手からグラスを奪い取り、そこにまだ半分ほど残っているウィスキーに口をつけた。
「何だ、お前か」
顔をあげた彼が、虚ろな目で私を見つめる。
その顔には普段の明るさのカケラもない。
いつだって前向きで、どんな失敗も次のステップへのバネにする。
そういう強い精神力を持っている彼が、“彼女”のことでひどく傷ついている。
彼の沈みきった表情にそのことをひどく思い知らされる。
ウィスキーを流し込んだ喉が、燃えるみたいにキュッと痛んだ。
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