陰陽の愛弟子
陰陽の愛弟子
「斎門(さいと)っ!!」
「りょーかい」
緊迫した場面に相応しくない声音で師匠に応えると、榊斎門(さかきさいと)は印を結んだ。
その途端風もないのに、彼の纏う衣がばさりと揺れ、彼の気の流れに合わせるように、周囲の空気が渦を巻き始めた。
ぐるぐると巻くつむじの中で、斎門は取り出した数枚の紙片に息を吹きかける。
すると、それらは人の形に変わり、ふわふわと宙に浮いた。
斎門は印を結んだまま、腕を振るう。目の前に立つ、異形のモノに向かって。
すぐさま、人型の紙片はつむじ風の中を飛び出し、対象物へと向かっていった。
シュッシュッという肉を裂く音と共に、そのモノが断末魔の叫びを上げ、もんどりうって倒れた。ズシンと地面に重たい音が響く。
「存外、弱い奴だったなあ」
事切れたそれが、塵となって空に帰って行くのを眺めながら、斎門は呟いた。
もっと、手応えのある奴はいないのかな。
不満そうにする愛弟子に歩み寄った師匠である陰陽師は、くすっと笑うと、「自信を持つのは構いませんが、過剰になってはいけませんよ」と諭した。
「たまたま、今回は楽な相手だったと言うだけで、世の中には上には上がいるものですからねえ。いくら斎門が優秀でも、見極める力と言うものは持つようにしなければいけませんよ」
もう何度も聞いた、お小言だった。
ややうんざりした顔で、斎門は師匠に顔を向けると、「先生って、苦労性だよね」としみじみ呟いた。
「ふふ。染みついた性分ですからねえ。仕方ありません」
生まれがどこかも、どんな生い立ちだったのかも、師匠に関する情報は全くと言っていいほど持っていなかった。
師匠と初めて会った、あの日からの事しか、斎門は知らない。
けれど、それだけで十分だった。
彼が当代一の陰陽師であり、信頼するに足る人柄の持ち主であることは、十分過ぎるくらいに知っているからだ。
そして、あの魔窟のような場所から救い出してくれたことを、斎門は感謝していた。もし師匠に出会わなければ、自分は今のように前を向いていられたのか自信がない。
思考の中に沈んでしまっていた斎門(さいと)の耳に、聞きなれた猫の声が届いた。
「ああ。鈴猫ですね」
「ふ……お使いに行っている間に終わってしまったと知ったら、怒りますかねえ」
「鈴猫がどう思おうが、知ったことではないですよ」
垣根の間からひょこっと顔を出した、縞虎の猫。
「なんやあ。終わったんかいな。旦(だん)さん!?」
至極残念そうな顔をして、主の手に飛び乗った猫は、人の言葉をその小さな口で紡いだ。そんな猫の頭をよしよししながら、陰陽師であり、師匠であり、旦さんでもある男はくすりと笑った。
「このところ、斎門はめきめき力を付けて来ちゃいましたからねえ」
「斎門なんか、帝お抱えの陰陽師 嵯峨に比べたら、何ぼのもんでもないわ!」
「ほう。言ってくれるね。鈴猫」
「鈴猫やない!鈴や、すず!」
「猫を猫と言って、何がいけないの?」
「あたいを、そん所そこらの猫と一緒にしたら、あかん言うてんねん!!」
代わり映えのしない会話を繰り広げる愛弟子と愛猫を交互に見ながら、嵯峨は穏やかに笑っている。
今は一時の休息の時だと知っているからか。
これから先の、彼らの戦いの行く末を知っているからか。
愛弟子と、そして、かの姫の背負う、あまりに重い運命を知っているからか。
嵯峨の微笑みは穏やかで、そして、少しの憂いを含んでいた。
「りょーかい」
緊迫した場面に相応しくない声音で師匠に応えると、榊斎門(さかきさいと)は印を結んだ。
その途端風もないのに、彼の纏う衣がばさりと揺れ、彼の気の流れに合わせるように、周囲の空気が渦を巻き始めた。
ぐるぐると巻くつむじの中で、斎門は取り出した数枚の紙片に息を吹きかける。
すると、それらは人の形に変わり、ふわふわと宙に浮いた。
斎門は印を結んだまま、腕を振るう。目の前に立つ、異形のモノに向かって。
すぐさま、人型の紙片はつむじ風の中を飛び出し、対象物へと向かっていった。
シュッシュッという肉を裂く音と共に、そのモノが断末魔の叫びを上げ、もんどりうって倒れた。ズシンと地面に重たい音が響く。
「存外、弱い奴だったなあ」
事切れたそれが、塵となって空に帰って行くのを眺めながら、斎門は呟いた。
もっと、手応えのある奴はいないのかな。
不満そうにする愛弟子に歩み寄った師匠である陰陽師は、くすっと笑うと、「自信を持つのは構いませんが、過剰になってはいけませんよ」と諭した。
「たまたま、今回は楽な相手だったと言うだけで、世の中には上には上がいるものですからねえ。いくら斎門が優秀でも、見極める力と言うものは持つようにしなければいけませんよ」
もう何度も聞いた、お小言だった。
ややうんざりした顔で、斎門は師匠に顔を向けると、「先生って、苦労性だよね」としみじみ呟いた。
「ふふ。染みついた性分ですからねえ。仕方ありません」
生まれがどこかも、どんな生い立ちだったのかも、師匠に関する情報は全くと言っていいほど持っていなかった。
師匠と初めて会った、あの日からの事しか、斎門は知らない。
けれど、それだけで十分だった。
彼が当代一の陰陽師であり、信頼するに足る人柄の持ち主であることは、十分過ぎるくらいに知っているからだ。
そして、あの魔窟のような場所から救い出してくれたことを、斎門は感謝していた。もし師匠に出会わなければ、自分は今のように前を向いていられたのか自信がない。
思考の中に沈んでしまっていた斎門(さいと)の耳に、聞きなれた猫の声が届いた。
「ああ。鈴猫ですね」
「ふ……お使いに行っている間に終わってしまったと知ったら、怒りますかねえ」
「鈴猫がどう思おうが、知ったことではないですよ」
垣根の間からひょこっと顔を出した、縞虎の猫。
「なんやあ。終わったんかいな。旦(だん)さん!?」
至極残念そうな顔をして、主の手に飛び乗った猫は、人の言葉をその小さな口で紡いだ。そんな猫の頭をよしよししながら、陰陽師であり、師匠であり、旦さんでもある男はくすりと笑った。
「このところ、斎門はめきめき力を付けて来ちゃいましたからねえ」
「斎門なんか、帝お抱えの陰陽師 嵯峨に比べたら、何ぼのもんでもないわ!」
「ほう。言ってくれるね。鈴猫」
「鈴猫やない!鈴や、すず!」
「猫を猫と言って、何がいけないの?」
「あたいを、そん所そこらの猫と一緒にしたら、あかん言うてんねん!!」
代わり映えのしない会話を繰り広げる愛弟子と愛猫を交互に見ながら、嵯峨は穏やかに笑っている。
今は一時の休息の時だと知っているからか。
これから先の、彼らの戦いの行く末を知っているからか。
愛弟子と、そして、かの姫の背負う、あまりに重い運命を知っているからか。
嵯峨の微笑みは穏やかで、そして、少しの憂いを含んでいた。
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