管狐物語
「ふぅ。
すっきりした〜」
桜はシャワーを浴びて、やっと一息ついた。
自分の部屋に帰ろうと、服やタオルを手に持って、歩いていると、4月の風は心地よく、火照った身体を落ち着けてくれる。
角を曲がって、縁側に面した自分の部屋に行こうとする。
「…⁈」
桜の足が止まった…。
縁側に男が立っており、月を見上げている…。
ただ、普通の人間と違うのは、縁側に立っているその男は、まるで血を被ったように、髪も目も染まっている事だ。
「ひっ⁈」
桜は思わず荷物を落とし、両手で叫びそうになる声を押しとどめた。
身体中が震え、意識をしっかり持たないと、倒れてしまいそうだった。
ゆっくりと後ろに下がりたくても、身体は言うことを聞かなかった。
血に濡れた男が、静かに桜のほうを振り向いた。
「っ‼︎」
頭の中で警鐘がなる…。
逃げなきゃ、逃げなきゃ、逃げなきゃ
男はゆっくりと桜に近づいてくる。
叫びたくても声も出ず、逃げたくても身体は一切動かなかった…。
近づいてきた男には、見覚えがあった。
先程広間で、ただ黙々と酒を飲み、桜に目を向けることもほとんどなかった焰だった。
ただ、あの時と違うのは、瞳孔が細く猫のような目をし、見た目は人間なのに、人間の温かみは、まるでない。
月の光から遠ざかると、血に濡れていたのが嘘のように、色は元通りになった。
焰は、がっ!と桜のパジャマの襟を掴み上げた。
「んっ!」
桜は苦しさに声を上げる。
焰は構わずに、そのまま自分の方へ、桜の顔を近づけた。
端正な顔に、今は何の表情もない…。
「…いいか。
彼奴らがお前を受け入れても、俺は絶対にお前を主とは認めねぇ」
桜は怖くて目をそらしたいのに、なぜかそらす事ができず、瞬きもせず、焰を見つめていた。
「…俺はお前を守るなんて、ごめんだ。
俺は俺の好きにやらせてもらう。
邪魔をするなら、お前を…殺す…」
焰は、それだけ言うと乱暴に襟から手を離し、踵を返して、歩いて行った。