誘惑のプロポーズ
誘惑のプロポーズ
まだ暑い日が続く9月の午後。
実穂(みほ)は一人、誰もいない屋上にきていた。
本来一般社員は立ち入り禁止の場所だけれど、清掃会社のおばちゃんの好意でこの時間だけこっそり鍵を開けてもらっている。
もちろん知っているのは私だけ。
まだ新人の頃、失敗や嫌がらせに可愛く泣いたり喚いたり性格上出来ない私が一人非常階段で落ち込んでいると、何故か掃除のおばちゃんが愚痴を聞いてくれ『内緒だよ』って屋上の扉を開けてくれた。
あの日からここは私の秘密の喫煙所になっていたんだけれど。
「暑っ」
日差しを避けるように日影な場所を探し、
熱い息を吐き出すエアコンの室外器の反対側の壁に寄りかかる。
火をつけたものの、吸わずに立ち上るタバコの煙をただ眺めていると何もかもがどうでもよくなってきた。
今年から社長が変わり、長く海外勤務の経験がある新しい社長は禁煙を推奨している為、
社内喫煙所の人口が大幅に減った。
むろん禁煙しようとする役員も多く、いいきっかけかと思い私も禁煙を始めた。
実際、上手くいきかけていてここへ来ることも殆どなくなっていたが、今日は吸わずにはいられない。
なのに。
「不味い」
久しぶりに吸うタバコの味に、ため息と共に煙を吐き出し火をつけたばかりの長い吸い殻を携帯灰皿に捨てる。
「あっ、そうか」
久しぶりだったから臭いを誤魔化す香水を持ってくるのを忘れた。
「そういえば…」
昼休み、かわいい後輩の果乃(かの)ちゃんがくれた香水のサンプルがあったことを思い出して上着のポケットから探し出した。
髪に振りかけるほどでもないかと思い、首筋と手首に付けて匂いを嗅いでみる。
「なんか甘い香りね」
『誘惑の香りですよ』なんて意味深な微笑みをしていた果乃ちゃんを思い出して顔をしかめた。
「北川はこんなのが好きなんだ」
今度これをネタにからかってやろうと思ったら、少しだけ気分が上向いた。
――ギーッ
重い扉の開く音にハッとして振り返る。
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