まほうつかいといぬ



汚い部分を吐き出した。沈黙が教室に満ちていく。
少しだけ後悔した。ぎしり、ぎしりと音がする。錆び付いた音。指が乱れる。肩が揺れる。そうして唐突に、終わる。不協和音。黒い影。観客の冷たい目が肌にねっとりと貼り付く。ブーイング、罵詈雑言。

けれど、その深い暗闇のなかに、一滴の光が落ちてくる。

「もう一度」背後に立った彼が囁いた。

「もう一度、同じ曲を」

魔法のように、すとんと力が抜けた。深呼吸。
指先がもう一度、懇願するように鍵盤を叩く。錆が剥がれる。透明で優しい音色が耳を濡らす。

「耳にきこえるメロディーは美しい。けれど、きこえないメロディーはもっと美しいって、ある人が言っていたんだけど」

世界から、波紋のように総てが消えていく。彼の存在と奏でられる音楽だけが、心臓を動かしているような錯覚。

陽射しはピアノの黒を柔らかくみせた。埃がきらきらと眩しい。知っているよりも、大分と細くなった彼の指先が、青葉の肩にのせられる。
メロディは続く、続く。

「その意味がようやく分かったよ。終わらないんだ。終わらせることなんてできない。続いていく」

途中で音が途切れる。それはもう、唐突に。
それでも。
「なあ、青葉。きこえるか」
青葉がゆっくりと振り返る。山下をじっと見上げて、瞳に小さな光を映す。

「きこえるか」

青葉は息を吸い込んだ。口を開いて、頬を紅潮させた。希望に似た確かな光が瞳の中で瞬いて。


──思わず人々は目を見張る。そうして奏者を見つめる。何が起きたのか、分からなくなる。
誰かが一人、立ち上がる。一人分の拍手が響く。
誰かが一人、立ち上がる。二人分の拍手が響く。
三人、四人と立ち上がり、大きな拍手と歓声が、小さな世界を震わせた。


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