まほうつかいといぬ
■プロローグ
青に沈む。
息ができなくて苦しかった。水中に吐き出された透明な空気が水面へ登っていく。体は下へ下へと沈んでいく。
違うのだ。きっと。
息ができなくて、苦しいのではない。
きっと。
意識が途切れかけたところで、腕が痛いほど強く引っ張られた。体がぐん、と持ち上げられる。突然の空気に気道が痙攣して、山下は咳き込んだ。
「大丈夫?」
顔を覗き込まれて、見つめ返す。平凡な顔の、影の薄い、クラスメイトの優等生が山下の腕を鷲掴んでいた。
痛くて顔を歪めたら
「ごめん」ひ弱な声を出す。
裕福で、何でもできて、そのくせ何処か世の中を諦めているような彼のことが苦手で嫌いだった。
よりにもよって、こいつに見られるなんて。
山下が苛ついて睨め付けると、彼はにへらと笑顔を作って、それから言った。
「ここは熱いから、空に飛び込むのも仕方ないよね」沈黙。「──あ、いや」
次の瞬間には真っ赤になって、いつも澄まし顔の彼は、違う違うと首を振った。
「今のなし!空じゃなくてプールで、てか、考え事してて、ぼくはその」
山下は目を見開くと、腹を抱えて笑いだした。青葉は困惑して首まで更に赤くなる。
だから、大声で宣言してやる。
「うん!ここは空だ!」
今度は彼が目を白黒させる番だった。少しの間を置いて、堪えられなくって、山下は笑い出した。
何も面白くなかったけれど、笑わずにはいられない、そんな気がしたのだ。
空をくれたのは、きっと彼の方だった。
青空を見上げて、眩しそうに、山下は目を細めた。とある夏の日のことだった。