バターリッチ・フィアンセ
○パン好きなお嬢様
薄暗い倉庫の中で、小麦粉の入った袋を台車に乗せる。
腰も腕も痛くて、額からは汗が流れてくる。
一人になると無性に心細くなるけれど、それはこういった肉体労働がキツいからというわけではない。
私を悩ませるのは、私にこの仕事を指示した、彼――――
「――――遅い! さっさとカスタードの準備にかからないと今日はクリームパンもアップルパイも店頭に出せなくなるだろ!」
ガラガラと台車を押して厨房へ入るなり、浴びせられる罵声。
二十五キロの粉袋が小柄な私にとってどれだけ重いかとか、まだここに勤め初めて三日目だからとか、そんな言い訳は彼に通用しない。
だから私は黙って、カスタードの準備に取りかかる。
その間に盗み見た彼の、手際よくクロワッサンを成形していく顔は真剣そのもの。
誰よりパンを愛していて、仕事熱心なことはものすごく伝わるし、これからもっと彼を理解したいと思ってはいるけど……
「馬鹿、ダマになってる。貸せ、俺がやる」
いつの間にか近くにきていた彼に鍋と木べらを奪われ、私はコンロの前から押し出される。
「ごめんなさい、昴(すばる)さん……」
「謝るくらいならしっかり見て覚えろ。明日は手伝わないからな」
じわり、浮かんだ涙をごまかすように、に何度も瞬きする。
そして固くなっていくカスタードの優しい黄色を見ながら、誰に聞いたらいいのかわからない問いかけを胸の内で呟いた。
私たち、本当に婚約者よね……?
――――と。
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