バターリッチ・フィアンセ


「……別に俺は何も」


こともなげにそう言った昴さん。

そんな彼を見ていた義兄が、不意にこんなことを言いだした。



「城戸くん……だったかな。僕はきみに以前会ったことがあるような気がするんだけど……」



え……? お義兄様と昴さんが……?

本人は表情を変えずにうつむいていたけれど、彼以外の全員が驚いて義兄の顔を見つめた。


「陽一さん、それ、本当? 一体どこで?」

「随分昔のことだけど、印象深かったから覚えてる。……あれは父の病院の――」


記憶の糸をたどるように、天井を仰いだ義兄。

いつ、どんな状況で彼に会ったのか詳細に聞きたいと、その言葉の続きを切実に待っていると。



「――人違いです」



義兄より先に、昴さんが抑揚のない声でそう言った。

それを聞いた義兄は、小さくため息をついて、切なげに呟く。



「そう、か……だけどきみの目はあの時の彼によく似ている。もしそうなら、今こうして立ち直ってくれている姿は僕の父にとって救いになるだろうと思ったんだけどね。
本人が違うと言うのなら違うんだろう……変なことを言って申し訳ない」

「……いえ」



言葉少なに、いつまでも下を向いたままの昴さんを見て、思う。

今の話は、本当に人違い――?


もしかして義兄は、私の知りたいことを知っている?


意外な人物から与えられたヒントに、私の脈は速くなり、知らず知らずのうちに手のひらに汗が滲んだ。


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