バターリッチ・フィアンセ
「手伝い……って。俺は仕込みまでに戻るってちゃんと言っただろ」
「……そう、なんですけど。でも、戻って来なかった場合のことを考えたら、明日のパンのこと、心配になって……」
「だから、できもしない生地づくりをやってたって言うのか?」
――やめろよ、そういうの。
だから向き合いたくないんだ。
痛々しいほどひたむきなお前と。
「……はい。あと、もうひとつ……」
ちぎれた生地のこびりついた手を、落ち着きなくこすり合わせる織絵。
何だよ。……早く言えよ。
長い沈黙に苛つき、もう一度正面から織絵を見つめたときだった。
「……好き、だから」
俺は後悔した。
織絵と視線を合わせてしまったことを。
「昴さんのことが、好きだから……」
俺の中から、呆気なく鬼が消えてく。
そして手が勝手に、彼女の柔らかい栗色の髪に触れた。
「あなたの役に立ちたくて……嫌われたくなくて……
本物の婚約者になりたくて……」
織絵の長い睫毛に、朝露のような雫が乗っている。
そこに口づけると、涙は解毒剤のように俺の中に染み込み、“復讐”の二文字を、心のどこか見えない場所に隠してしまった。
「――――もういい、わかったから」