バターリッチ・フィアンセ
「……何言ってんだよ。アイツが織絵にしたこと考えれば当然だろ。
織絵だってここに帰ってくる度に怯えなきゃいけないのはいやだろ?」
そう問いかけると、織絵は大きな瞳で俺を見上げて、こう言った。
「ここへは、もう帰りません」
「え……?」
「それなら、いいでしょう? ずっと、昴さんの側から離れなければ」
――なんで、今そんなことを言うんだろう。
ずっと……なんて無理なのに。
俺のできないことを切実に訴えてくる織絵が愛しくて、胸が切なく締め付けられる。
「昴さんが、守ってください……」
「織絵……」
「約束、です。これから先ずっと……私の側にいて、私を守って?」
そう言って、織絵は静かに俺の右手を取った。
その小指に自分の小指を絡め、まだ少し涙の浮かんだ瞳で、俺に微笑みかけてくる。
「昔、お母様とよくこうして約束したんです。普通は、“嘘ついたら針千本”って言うみたいですけど、私は雷がキライだったので、“嘘ついたら雷さま呼んじゃうよ”って母に言われてました。
……昴さんがキライなものってなんですか?」
織絵のか細い指と繋がったままで、俺は考える。
キライなもの……夏の線香花火もそうだったけど、俺ははかないものがキライだ。
どうしても、思い出してしまうから……母親の亡くなった、あの日のつらさを。自分の不甲斐なさを。
「……昴さん?」
どうやら考える時間が長すぎたらしい。織絵が心配そうに俺の顔を覗き込んでいる。
俺はふっと笑ってから指を解いて、織絵の頭に手のひらを乗せた。
「俺は嘘つかないよ。だから指切りの必要はない。」
……言ってるそばから、嘘だった。
ただ、守ることが不可能だとわかっている約束を交わすことがどうしてもできなくて。
俺は偽りの笑みで織絵を安心させ、彼女が落ち着いた頃に、二人でダイニングに戻ることにした。