バターリッチ・フィアンセ
「どうして気づけなかったの――……っ」
昨夜の彼は、やっぱりどこかおかしかった。
それがわかっていたのに、目の前の幸せに溺れて、先のことを考えようとしなかった。
なんて馬鹿な私。
昴さんが出て行こうとしてるって、少しも気がつけなかった。
店先に座り込んですすり泣く私を、通勤途中のサラリーマンや小学生の集団、犬の散歩をする老人たちが、怪訝な顔で見ては通り過ぎてく。
それでも、今は人目なんて気にしていられなかった。
昴さんがいない――――。
そのことで心に大きな空洞ができたような寂しさに襲われた私は、立ち上がることすらできない。
「昴さん……どこ、いったの……?」
張り紙に問いかけても、答えが返ってくるわけもない。
途方に暮れてぼんやりする私の背後で、ジャリ、とアスファルトを踏み鳴らす音がした。
「……こうなりましたか、やっぱり」
――その、聞き覚えのある穏やかな声のトーンは。
「真澄、くん……」
彼は張り紙を見て眩しそうに目を細め、それから私の傍らに片膝をついてしゃがみ、そっと手を取る。
「帰りましょう」
「……帰るって、どこへ……」
「三条家です。お嬢様は少しお休みになる必要があると思いますので」
「……いやっ!」
パシン、と真澄くんの手を払いのけ、私は子供のように膝を抱えてうずくまった。