バターリッチ・フィアンセ


「――織絵、子供の頃、うちの庭に忍び込んだ猫のこと、覚えてる?」

「猫……?」


全く関係のない話が突然飛び出したことに戸惑い、私は潤んだ目で姉を見つめた。

彼女は優しい目をしていて、その猫のことを思い出せずにいる私に、こう話を続けた。



「織絵は三歳くらいだったから、覚えていなくても無理はないわ。
でも、とにかくその猫を見つけたときに姉妹三人で喜んだの。お父様は動物を飼うことを許してくれなかったから、三人でこっそり世話をしようなんて言って」



それを聞くと、私は記憶の片隅に一匹の猫が居ることに気が付いた。

あれは、確かそう……昴さんの髪のような、明るい茶色をした――――



「その猫って……茶トラ、だった?」

「そうそう、確かそうよ。思い出したの?」

「断片的だけど……少し」



私たちのことをとても警戒していたその猫は、とても攻撃的だった気がする。

でも、それ以上のことはよく思い出せない。



「私たちが近づこうとするとすぐに威嚇してきて、それでも無理矢理に抱いたら私は手を引っ掻かれてね。
私も珠絵も“この猫可愛くない”ってつまらなくなって、もう放っておこうとしたんだけど……織絵だけは、違ったの」



優しく微笑んだ姉は、昔を懐かしむように目を細めてこう言った。



「“この猫さん、怪我してる”――――いきなりそう言って、猫に近付いて行ったわ。なぜだか猫の方も逃げなくて、織絵のやることを静かに見てた。実際は、怪我というほどのものではなくて、尖った植物の種が足にくっついてしまっていただけだったのだけど。
それを取ってあげると、猫は織絵になついて大人しくなったわ」


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