バターリッチ・フィアンセ





『昴ー! くるみパン買ってきたわよ!』

『えー、またそれ? 俺もっと甘いのがいいのに』

『何言ってるの、くるみは栄養あるのよ?』

『……んなこと言って、母さんが好きなだけだろ?』

『あはは、ばれてた? はい、今日も半分こ』



高校生の頃くらいまで、母とよくこんな会話を交わしたものだった。


俺の父親だった人とは大恋愛をしたらしいが、未婚のまま別れたという母とのふたりきりの家庭。

生活は苦しくて、夜の仕事を掛け持ちしていた母親の帰りは朝になることも多かった。


派手な格好をして、酒と男の匂いをさせて帰ってくる母は、たぶんいかがわしい仕事もしていたんだろうけど、俺は別に嫌じゃなった。

“夜の仕事は儲かるから辞められないし、私はこの仕事が好き”

本人が明るくそう話していたし、家に知らない男を連れてくるようなこともなかったから。


そして楽しみだったのが、母がたまに起こす気まぐれで仕事帰りに買ってくる、なじみのベーカリーのパンだった。

十回中八回はくるみパン、そしていつもひとつしか買ってきてくれないのが少し不満だったけど、“半分こ”は家に母親のいない時間が多いことの寂しさを埋めてくれる、精神安定剤みたいな役割を果たしてくれていた。


思春期になるとさすがに嫌な顔をして見せたが、それでも渋々受け取って、素朴な味のくるみパンを親子で食べて。

俺が学校に行くまでの朝のほんのひととき、一日の内で唯一母親と会話のできるその時間が、俺たち親子にとってかけがえのない大切なものだった。


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