バターリッチ・フィアンセ
『……俺、パン屋になろっかな』
俺と母親を繋ぐ大切な時間をつくってくれるパンという存在。
それに魅力を感じ、他の誰かの食卓も、こんな風に幸せにしてあげられるのなら、それってやりがいのある職業なんじゃないかと思い始めた高校生の頃。
朝、いつものくるみパンを親子二人で半分ずつかじりながら、俺はそう切り出してみた。
『それいいじゃない昴! 私のために日本一美味しいくるみパン作ってよ』
『……やだよ、もう食べ飽きてるから。それ以外のパン作りに力を入れる』
『この親不孝者ー。でも、楽しみね。昴の作ったパンかぁ』
照れくささから冷たい言い方をしてしまった俺だけど、母に言われなくたって、くるみパンは絶対に作ってやろうと内心思っていた。
美味しいの作って、驚かせてやるって。母の喜んだ顔を夢見て。
『でもさ……学費とか、平気なわけ?』
……心配なのは、そこだった。
もともと大学には行く気がなかったけど、もし母が俺に早く就職して家計を助けて欲しいと思っていたら、その時は潔くパン屋の夢は諦めようとしていた。
『なーに心配してるのよ。あんたが年頃になって将来のこと考えたとき、就職って選択肢しかないんじゃ可哀想だから、今まで私が頑張って働いてきたんじゃない。
さすがに医学部とかは無理だけど、専門学校くらいなんとかなるわ。その代わり、一番安い学費のとこ探すわよ?』
冗談っぽく言った母だったけど、俺はありがたさで涙が出そうだった。
母の仕事を否定しないにしても、稼いだ金のうち、化粧品や洋服や、男との付き合いに消えていく額も少なくはないだろうと勝手に思い込んでいたから。
『ありがと……母さん』
『やだ、改まってそんなこと言わないでよ。お母さん照れちゃう』
ふわふわと、小麦の香り漂う幸せな時間。
それはこれから先もずっとずっと続いて行くものだと、俺は信じて疑わなかった。