バターリッチ・フィアンセ
――その夜は久々に母と長く会話をした気がする。
学校では実習やレポートに追われていたし、それが終われば複数かけもちしていたバイトで忙しかったし。
いつの間にか“半分こ”の時間は失われて、それを寂しく思う暇もなく俺は毎日必死で勉強とバイトに明け暮れていた。
けれど母にとってそれはやっぱり心細いものだったらしく、散々色々な話をしたあと隣り合った布団で眠るときに、彼女は甘えるようにこう言ってきた。
『……ねえ、手を繋いで眠ってもいい?』
『なんだよ、子供みたいに』
『いーから』
頬を膨らませる母は、仕事柄キレイにしていなければならないせいなのか、四十代とは思えないほどあどけない。
この年で、母親と手を繋ぐ羽目になるとは……と思いつつ、いつの間にか自分よりかなり小さくなったその手を軽く握った。
『昴、さっきの、約束よ?』
『ああ……、ノワだっけ?』
俺が帰宅する前にたまたま母が見ていたテレビ番組で、フランス語でくるみ=noixだと言っていたらしい。
それを気に入ってしまった母が、いつか俺が店を持つことになったらそれを店名にしようと、強引に決めつけてきたのだ。
『そう。私の大好きなくるみ。響きも可愛いからいいでしょ?』
『……大事な店の名前はもっとじっくり悩みたかったんだけどな』
『いいじゃない、こういうのは勢いよ!』
勢い、ね……。きっと俺の父親との恋愛も、勢いにまかせて俺を作って、そのせいで別れたんだろう。
でも、俺は母子ふたりの生活を不幸だと思ったことはない。
頑張り屋で明るく、すぐにふざけた冗談を言う母のおかげで、不幸に浸るより笑ってる方がいいと気が付けたんだ。
そのことに心から感謝をしているし、絶対に口に出しては言えないけど、いつも思うんだ。
――俺は、あなたの子供に生まれてよかったって。