バターリッチ・フィアンセ

それなのに真澄くんは、私の身体をそっと自分から離すと、困ったように眉を下げながらこんな冷たいことを言う。


「……お嬢様。以前でしたらお嬢様がおつらいときに僕を使って気持ちを落ち着かせてくださっても問題ありませんでしたが、今はいけません。婚約者の方が見たらお気を悪くされます」


……その、婚約者のことで悩んでいるからあなたに頼りたいんじゃない。


そう言いたいのを飲みこんだのは、廊下の向こうから、仕事を終えたらしい噂の人物が、帽子を外しコックコートを着崩した状態で近づいてきたからだった。

疲労のせいかその足取りは重く、私たちの前まで来た彼は思いきり不機嫌そうに言い放つ。



「…………誰?」



その不躾な言い方にも、真澄くんはきちんと姿勢を正して丁寧なあいさつを返した。


「初めまして、伊原(いはら)真澄と申します。三条家の執事をしておりまして、今日は織絵お嬢様の荷物をお届けに参りました」

「……執事。すげーな、さすが金持ち」


城戸さんの“すげーな”には、感心よりむしろ逆の……軽蔑とか、人を馬鹿にしたような感情が含まれているように聞こえた。

どうしてそんな風に言うの? 表情も、さっきお店でお客さんと話していた時の彼とは別人みたいに見える。


「せっかく来てもらって悪いけど、織絵のモンは全部こっちで揃える。
見りゃわかると思うけど狭い部屋なんで、彼女の私物を置くスペースなんて限られてるから必要最低限でいいし、今日みたいな服で厨房入られたら困るから」


織絵……? さっきまでは“織絵さん”じゃなかった?

それに、私物はいらないってどういうこと? 部屋が狭いというのはわかるけど、私だってそれなりにラフな服も持ってるのに……


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