バターリッチ・フィアンセ
翌日、パン作りで最も難しいと言ってもいいクロワッサンの実習が長引き、学校を出ることができたのは20時を過ぎていた。
『この失敗作、全部食べたら太りそう……』
実習でできたクロワッサンの入った袋を夜空に掲げつつ、美和がぼやいた。
『冷凍して少しずつ食べればいいんじゃないの? 一人暮らしには結構ありがたいと思うけど』
『たっちゃんは乙女心をわかってない。この見た目だけど味は抜群だから、ひとつ食べたらまたひとつってなるに決まってる……』
『それはみーちゃんが食いしん坊なだけなのでは……』
いつものようにくだらない痴話喧嘩をするふたりをクスクス笑いながら眺め、校門から駅に向かって歩き出そうとした時だった。
『――城戸くん! ちょっと!』
校舎の方から駆けてきたのは、俺たちの通う製パンコースの担任。
……血相変えてどうしたんだ一体。
『なんだよ昴、なんかマズイことでもしたのか?』
『いや……心当たりないけど』
不思議そうにする俺たちの前で立ち止まった担任は、息を切らせたままの状態で俺に告げた。
『あなたの、お母さん……職場で倒れて救急車で運ばれたそうなの』
――ドクン、と胸がいやな音を立て、肩から下げていたバッグがするりと地面に落ちた。
どうして……完全に元気になったと思っていたのに。
朝だって、いつもと変わったところなんてなくて……
呆然とする俺に、担任は自分が車を出すと言ってくれて、俺はわけのわからぬまま母のいると言う病院に向かった。