バターリッチ・フィアンセ
『――なんのために華絵(はなえ)をここへ連れて来たと思ってる! 古くからの友人であるきみに、助けてもらいたいからだろう!』
『……治療には優先順位というものがあるんだ。理解してくれ』
『先に運ばれてきたのは華絵だ。ではなぜ優先順位があの患者より遅いのだ』
『それは――――』
興奮した様子の患者の家族――三条一志が“あの患者”と指差したのは、俺の母親だった。
母の側にも医者らしき若い男が付いていたが、頼りない表情で、今通路で言い合いをしている中年の医者の様子をうかがっている。
中年の医者は一志の問いには答えず、踵を返してICUに戻ろうとしたものの……一志に肩を掴まれ、再び引き留められてしまった。
『お願いだ……妻を助けてくれ。金ならいくらでも出す。頼むから、華絵を最優先に……!』
……金? 何を言ってるんだこの男は。今こうしている間にも時間は刻一刻と過ぎているというのに。
俺がもう一度母のベッドの方に目を向けると、さっきの若い医者が切羽詰まった表情で“先生!”と呼んでいて、俺の憤りも頂点に達しそうだった。
いっそ殴ってでもあの医者を早く解放してやらないと、手遅れになるかもしれない――……
握りしめた拳に、爪が食い込む。
『……私だって助けたいよ三条。でも華絵さんを一番に処置することはできない。それがなぜか、きみだってわかっているだろう……!』
俺が殴る前に、強い語調でそう言った医者が一志の手を振り払い、足早にICUに戻って行った。
母のベッドがカーテンで仕切られ、この場所からでは何も見えなくなってしまったのと同時に、さっきの看護師に部屋に入るように促される。
『華絵……華絵……』
その途中ですれ違った一志は床に膝をついていて涙を流しているようだったが、俺は少しも同情できなかった。
もしも母さんが助からなかったら、コイツのせいだ――――。
そんな思いから、床に突っ伏す男の姿を、俺は忘れぬように目に焼き付けていたのだった。