バターリッチ・フィアンセ
「照れ屋なんですよねー、こいつ。昨夜はあんなに乱れたくせに……」
「なっ……!?」
なんて根も葉もない嘘をつくのこの人は!
っていうか、自分はさっさと寝てしまって、私がいつ眠ったかも知らないくせに――!
昴さんの爆弾発言に、主婦軍団からの冷ややかな視線が、殺意の滲んだものに変わった気がした。
それがあまりに怖くて、私は自分の株が余計に下がるのを承知でその場を逃げ出すことを選び、レジの背後にあった扉の向こうへと駆けこんだ。
……きっと、品のない女だと思われた。愛想も悪いし、礼儀もなってないって。
その想像がさっきの主婦たちのひそひそ声で空耳となり、私は思わず耳を塞いでうずくまった。
おしゃれなタイル張りだった店内の床とは打って変わって、落とした視線の先はコンクリート。
ここは……
顔を上げてゆっくり辺りを見回すと、ステンレスの大きな作業台に業務用オーブン、シンクにコンロに、様々な調理器具が目に入った。
「厨房……?」
そう呟いてから、この部屋が冷房の効いていた店内と比べてとてつもなく暑いということに気が付いた。
立ち上がり、壁にかかった温度計を見ると、室温は三十度を超えている。
一応空調はあるみたいだけれど、今もなお稼働中らしいオーブンから絶えず熱が出ているから、あまり意味はないのかもしれない。
ここで毎日、昴さんはパンを……
お店の方の華やかさとは少し違う、パン屋の裏側を少しだけ見ることができた気がした。
だけど、昴さん自身に関しては、ますますわからなくなっていくばかり……
私はそこに誰もいないのをいいことに、しばらくの間ただぼんやりと、たれてくる汗を拭うこともせずに厨房の景色を眺めていた。