バターリッチ・フィアンセ
「昴さん、あの、家に電話をしたいのですが」
真っ赤なグラタン皿をオーブンに入れた彼の背中に声を掛ける。
「どーぞ。話すならベランダに出れば?」
「はい、ではちょっとだけ失礼します……」
この家に持ち込めた唯一の私物、初日に身に着けていたバッグの中からスマホを取り出し、私は窓を開けてベランダに出た。
むわりと熱気を帯びた八月の夜風に吹かれながら、片手で手すりを掴んでスマホを耳に当てる。
『――もしもし、伊原です。お嬢様、どうされましたか?』
さすがは三条家の執事。ワンコールですぐに出た。
「急にごめんなさい。どうしても真澄くんに聞いてほしいことがあって……」
『城戸さんに何かされましたか!? あれほどお嬢様を傷つけないようにと言ったのに、あの方は……!』
「ち、違うの!」
どうやら真澄くんの中で、昴さんの印象は最悪らしい。
私は慌てて否定し、それからスマホを握る手にぎゅっと力を込める。
「された……じゃなくて。今夜、これから、されてしまうかも……って」
住宅街の夜は静かだ。夏の星座が瞬く夜空の下、自分の声だけがやけに大きく聞こえて恥ずかしくなる。
早く何か言ってほしいのに、電話の向こうの真澄くんはしばらく黙ったままだった。