あたたかい場所
「それから事務所に通い詰めて、デビューってものが目に見えるようになった。
俺たちは誰も大学に行かなかったから、毎日暇で、その点で話が進むのも早かったよ。
そんな時だった、陸の親父さんが倒れたのは」
「倒れた?」
「うん、陸の実家は郊外の旅館で、親父さんが経営者だった。
お袋さんと数少ない仲居さんで支えてたらしいけど、親父さんは疲労で倒れてしばらく入院することになったんだ。
陸のところに、帰って来いって連絡が来るのは必然的な事だった。
陸には、その時中学生の弟と小学生の妹がいたんだ。
でも学校はあるし、旅館の仕事を手伝えるわけでもない、その上進学やらで色々とお金が掛かる。
旅館を続けるためには、陸が帰って来ることが一番の方法だったんだ。
それに陸は、音楽をすることを反対されてた。
大学に行かないって言ったときも、大喧嘩になったらしい。
デビューできそうだって報告しても、喜んではくれなかったらしい。
確かに、売れない場合もあるし、安定はしていないから、反対するのも無理はないよな。
陸も、苦しかったんだと思う。
俺たちは陸に裏切られたなんて思ってないけど、やっぱり、悲しかったよ。
陸とは今でも連絡を取ってる。
あいつは、いい奴だよ。今は結婚して旅館も繁盛してる」
翔さんは、とても優しい目をしていた。