老いたる源氏

夕霧1

化野(あだしの)の 老いたる源氏 朧月(おぼろづき)
      わかなわすれそ 柏木の君

夕霧はこの年になってもどうしても親友柏木の死の謎が解けません。
源氏をとりなして妻落ち葉の宮をよろしく頼むという遺言も
ずっと気になったままです。

何度か源氏に事の真相をと迫りましたがその都度はぐらかされて
きました。今ならばこそ老いたる源氏に事の真相を聞き出さんと
決意を込めて夕霧は嵯峨野へと向かいます。

ほのかに蠟梅が咲きまだ声の回らぬ鶯がほろほろとなく源氏の庵。
惟光が田をを耕しています。昼餉のうす煙の中源氏の読経が聞こえます。

「妙法蓮華経如来寿量品第十六 爾時佛告 諸菩薩及 一切大衆
諸善男子 汝等當信解 如来誠諦之語 又復告 諸大衆
汝等當信解 如来誠諦之語 是時菩薩大衆 弥勒為首 合掌白佛言
世尊 唯願説之 我等當信受佛語 爾時世尊 知諸菩薩 三請不止」

小春日和の土の香り、畑を耕していた惟光が鍬の手を止めて背伸びをし
ます。遠くに牛車の列を見つけます。よく見極めてから土を払い報告に
参ります。このころ源氏は雲隠(うんいん)と名乗っています。

「雲隠さま、近衛大臣がお越しのようです」
読経をやめて源氏はうなづきます。
「夕霧か」

そう言って源氏は立ち上がり作務衣のまま居間の板敷の上に胡坐を
かいて座ります。お市が膳を運んできます。合掌してすぐに手を付け、

「早蕨か、いい香りじゃなあ。あ、土筆(つくし)も入っておる」
もう一つの膳が運ばれてきます。さらにお酒と盃。

「夕霧大臣がお見えになりました」
惟光の声の後に狩衣姿の夕霧近衛大臣が入ってこられます。
鼻筋の通った男盛り父への気迫が伝わります。

「親父殿、お勤めのところをまたお邪魔いたします」
「ふむ、早蕨じゃちょうどよい。前は冷泉などもいて何も
話せなんだからの、今日はゆるりとするがよい」

木履を脱ぎながら夕霧が答えます。
「今日は父上に母や友のことを詳しく聞きに伺いました」

「葵上?友とは柏木のことか?」
「さようでござりまする」
夕霧は源氏の顔から目を離さずにどっかと上敷きに胡坐をかきます。
夕霧の気迫がひしひしと源氏に伝わります。

「まあ、きょうはゆるりと語ろうではないか」
源氏は思いめぐらしながらも手探りで徳利を手にいたします。
夕霧は源氏をにらみつけながら徳利に手をやり自酌します。
『今日こそははぐらかされませんよ』

「葵上には悪いことをしたと思っている。お前にも」
「わたしにも?」
「ほとんどかまってやれなかったからの」
源氏は意を決したように空をにらみゆっくりと語りだしました。
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