老いたる源氏

明石の中宮6

「これは後日談ですが私の母明石のお方は八年もの間じっと娘に
会える日を待ち続けていました。それは必ず天皇の子を産んで中宮
になれると信じていたからでした。

さすがに母は入道殿の娘と感心します。紫上様はお妃になる教育を
それはそれは丁寧にお教えしていただきました。詩歌に管弦、歌合せ。
囲碁に双六雛遊び。香に絵合わせ貝合わせ。偏継、洲濱砂遊び。お手玉。

紫上様のお気遣いで実の母を偲ぶ暇(いとま)はほんとにありませんでした。
また紫上様のお気持ちに素直にそうようにすることが一日も早く母に会える
道だと信じていました。あっという間の八年間でした。

裳着の儀式の時にも母には会えませんでしたが、東宮妃として入内の時に
やっとやっとお会いできました。母は紫上様にこんなに立派にお育て
くださいまして、と目にいっぱいの涙を浮かべて礼を述べておられました。

皇子を出産後におじいさまはすぐに御出家なされ、わたくし宛にとても長い
お手紙をいただきました。その内容は祖父と母上の慈愛にあふれ身に余る
今世の福運に感謝し中宮としての使命に身の引き締まる思いが致しました」
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