老いたる源氏

秋好む中宮4

「母は私たちが伊勢に下るいきさつをよく話してくれました。
葵祭の車争いはほんとに悔しかったのでしょうね。
これは最後まで何度も聞きました」

「あの行列には私も加わった」
「その貴方見たさに私の母はお忍びで早くから一条大路の
一番いいところに目立たぬよう車を止めていました」

「とても蒸し暑い日じゃったのをよく覚えている」
「そこに何も知らぬきらびやかな網代の御紋車が割り込んで来
ました。左大臣だと分かります。乗っているのは葵上様。十数
人の側副(そばぞえ)が御息所の側副と小競り合いになりました」

「大路でもめていたのは後から聞いた」
「あなたのせいでついに母の車の榻(しじ)を壊されてしまいます」
「口惜しかったろうな。六条の御息所とわかりさえすれば恋敵を
追い返すことができたのに、すまないことをした」

「母の怒りは頂点に達し、それからは毎日芥子を焚いて
恨みの加持祈祷を続けたそうです。死ぬまであの時は口惜し
かったと申しておりました」

「その執念深さは母譲りじゃ」
「はあ?」
「そう申しておった冷泉が」
「どういうことでしょうか?」
「秋好む中宮は今薫の君にぞっこんじゃと」
「まあ、それほど入れ込んではおりませんよ母上のようには」

大きな笑い声が庵の外まで響いてきます。
嵯峨野は種々の紅葉や楓に色冴えて赤茜やヤンマが
飛び交っています。松茸はとうに食べ終えて
夕日が西に傾きます。
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