老いたる源氏

嵯峨野3

小倉池の小道をまっすぐに行くと小倉山の麓、
秋の紅葉で有名な常寂光寺に突き当たります。

そこを右手にたらたらを下るとすぐに視界が開けて
一畝ほどの稲田。今は水もなく稲株が広がっています。

落柿舎から去来の墓を経て木漏れ日杉木立の中を
二尊院の大きな馬止めの角を左に曲がると
祇王寺への石畳に出ます。道幅は狭まり心持上り坂。

小倉山裾が間近に迫り右手鳥居本の山すそも迫ってきます。
さらに道幅は狭まり坂がきつくなります。

この先行き着くところ、そこが化野(あだしの)です。
平安の人々は死人をここに運びました。当時火葬は稀です。

風葬の死体捨て場、両山裾の迫りくる奥の岩壁。烏が群れ
ています。今はトンネルがあって清滝へとすぐに抜けられますが
いまでも切り立つ急こう配の峠岩壁がトンネルわきから登れます。

あだしのはまさに平安人の死体捨て場だったのです。
この入り口にあたるちょっとした平らかなところに
八体の地蔵があります。ちょうど寂庵さんの上手あたりです。

今は駐車場になってますが。この辺りまで荷車や
肩に担いで死人は運ばれ、家族との最後の別れを
ここでしたと思われます。

源氏の庵はまさにこの辺り、寂庵さんの下手あたり
にあったのではないでしょうか。

今は昔平安のころ、年老いた源氏は従者惟光とともに
この地に移り住みます。老いたる源氏は毎日法華経を唱え
方便品も寿量品も諳(そら)んじています。
目はもうほとんど見えません。

惟光は薪を割っています。賄(まかない)の老婆が
おぜん立てをしています。耳を澄ますと
聞こえてきます。年は老いても声は昔とちっとも変りません、
艶(つや)のある若々しい声です。
< 4 / 65 >

この作品をシェア

pagetop