君と歩く未知
 「小林!」
後ろから木塚の声がしたけど、アタシは聞こえないことにして走り続けた。だけど、木塚は追いかけてきてアタシは階段で手を掴まれた。
「ごめん、オレも悪かったよ。何も知らないのに、偉そうなこと言ったよな。だからさ、話してみろよ。小林に何があったのか。何か理由があるんだろ?」
アタシは目を泳がせた。木塚の大きな手は熱くて、木塚の目は真剣で、アタシの逃げ場はどこにもなかった。
「今は…まだ話せないよ…。あんな話できないよ…」
アタシはそう言って唇を噛み締めてうつむいた。木塚はアタシの腕を揺らして言った。
「泣いて構わんよ」
アタシは言った。
「…泣かないし、笑わない。アタシの決まりごとなの。アタシは幸せに生きちゃだめなの」
「どうしてだよ!そんな生き方悲しいって」
アタシは木塚の目を見て言った。
「言えない」
木塚はそっとアタシの手を離した。
「明日また美術室に行っても良い?」
アタシは階段を下りながら
「構わないよ」
とだけ言った。

 どうして、木塚はアタシなんかに構ってくれるのだろう。どうしてアタシみたいな人殺しに優しくしてくれるのだろう。絶対泣かないって決めたはずなのに…もう一年近く泣かずに過ごしてきたのに、たった今出会った人なんかに優しくされて…久しぶりに生身の人間の温もりに触れて、じんわりと涙がにじんできた。アタシは汗ばんだ腕で目を荒く擦った。黒いアイラインとマスカラが崩れた気がしたけど、気にしない。だって、泣かないためにはもうこうするしかないんだもん。
 だめだ…木塚みたいな人間に出会うたび、自分が人間としての心を取り戻そうとしている気がして苦しくなる。アタシはお父さんから全てを奪ったの。お父さんは死んでしまった…もう笑うことも泣くこともできないんだから、アタシもそうするの。そうしなきゃ…お父さんに申し訳ないじゃない。わかって、木塚。アタシだって本当は薄々気付いている。こんな生き方悲しいだけだっていうことくらい、とっくに気が付いているよ。だけど、アタシのお父さんはアタシのせいでもっと悲しい死に方をしたの。だから、アタシは…幸せになんてなれないんだよ。っていうよりは…こんなアタシみたいな人殺しが幸せになることが怖い。
 ごめんね、木塚。本当は木塚の言うこと、間違ってないんだ。
< 19 / 202 >

この作品をシェア

pagetop