好きと言えなくて
「葉子さん」

名前を呼ばれても、足元に視線を向けたまま……。

「なんで、来てくれたん?」

なにも、応えられへん。

「入って? 誰もおらんから……」

恐る恐る顔をあげて、正義の背中についていった。

「おじゃまします……」

正義の言う通り、他に人の気配はなかった。古く広い家屋で、テレビにちゃぶ台くらいしかなく、殺風景な印象だ。

「座って?」

正義は、珠暖簾をくぐり、隣の部屋に入っていった。隣の部屋はおそらく、台所だろう。

お茶をちゃぶ台に出すと、正義は私の向かいに座った。

「き、来たくて来たんやない。太くんに連れて来られてん……」

正義の顔を見ることもできずに、ブツブツと呟く。

「なんで?」

「私が太くんに……好きって言ったから」

正義が、私をみつめている……と言うか、睨んでいる気がして、視線をちゃぶ台からさらに下の畳に向けた。

「わ、私……帰るわ。も、もう私は」

正義の彼女でもなんでもないし……そう言おうと思ったけれど、言葉より先に涙があふれてしまった。

「葉子さん」

< 90 / 93 >

この作品をシェア

pagetop