先輩上司と秘密の部屋で
「ねぇねぇ、ここって営業部門にめちゃくちゃいい男がいるんだって」
「私知ってるー。二年くらい前、ミスター青学に選ばれてた人でしょ?」
杏奈が懸念する材料は、お金の問題だけに留まらない。
入社式が終わったと同時に駆け込んだトイレの中で、兄の隼人が通っていた国立の大学名が耳に入り、思わずびくっと身体を震わせた。
「名前なんだっけ……確か、小早川? そんな感じ」
正解は小白川で微妙に惜しいが、わざわざ出て行って教えてあげるほど、杏奈も親切ではない。
……彼女たちが噂しているのは、言わずもがな、杏奈の兄である隼人のことだ。
さすがに高校時代のようにいじめを受けたりしないだろうが、妹という時点で兄を狙う女の人に利用されることは目に見えている。
杏奈は思わず、自分の頭を抱えた。
隼人と同じ会社で働きたいと思ってこの会社を受けたのは、杏奈がまだ隼人のマンションで仲良く暮らしていた時のこと。
昨日まで合わせる顔がないと嘆いていた関わらず、杏奈は今日から隼人と同じ会社で働かねばならなかった。