先輩上司と秘密の部屋で
「あ、……案内なら……門倉さんにしてもらうから……」
蚊の鳴くような弱々しい声を、杏奈は隼人に向かって絞り出す。
ほのかに漂うブラックティー・レザーのスモーキーな香り。
嵐士独特の気配に気圧されて、杏奈は完全に逃げ腰の状態だった。
「えっ、……なんで俺!?」
「いいから行きましょう。門倉さん」
杏奈は真顔で門倉に迫り、スーツの裾を引っ張りながら、オフィスの入口まで引きずっていく。
あんな話の後で嵐士とふたりきりになるなんて、杏奈には到底無理な話だった。気まずすぎて、終始無言の状態になりかねない。
「ちょっと杏奈ちゃん、お兄さんの言うことちゃんと聞きなよ。ああもう。後で俺がどんな目に合うか……」
「……すみません門倉さん。今回だけ協力してください」
こそこそと言い合いながら、ふたりはオフィスを後にしていく。
杏奈と門倉の様子を傍観していた隼人は、面白くなさそうに色素の薄い双眸を鋭く細めていた。
「ねぇ嵐士。……杏奈は随分、門倉に懐いてるみたいだね」
ポツリと呟いた隼人に、嵐士は何も言葉を返さない。
表情ひとつ変えることなく、ふたりが消えていった方向に視線を漂わせていた。