先輩上司と秘密の部屋で
「そ、そんなこと……言われる筋合いありませんから……」
杏奈は声が震えそうになりながらも、必死で反論を口にする。
まさか、言い返されるとは思わなかったのだろう。
嵐士は驚いたように目を見開くと、杏奈の顔をほぼ真上からじっと見下ろしていた。
恐ろしいほど端正なその顔立ちに、否応なく目が奪われる。
漆黒の瞳はどこまでも澄みきっていて、杏奈は一瞬だけさっきの決意を忘れそうになってしまった。
(ダメだ。……私がしっかりしないと……取り返しのつかないことになってしまう)
何とかして隼人に目を覚ましてもらわなければ、杏奈は一生後悔することになるだろう。
素敵な女性に出会って恋に落ち、いずれは結婚して幸せな家庭を築いてもらいたい。
それが小さい頃から隼人に迷惑をかけ続けてしまった、杏奈のささやかな願いだ。
嵐士を精一杯睨みつけた後、杏奈はふたりに背を向けてこの場から立ち去っていく。
隼人はすました表情でふたりの様子を伺い、嵐士は杏奈の後ろ姿を見つめたまま微動だにしない。
それぞれの思惑は、幾重にも折り重なった糸の如く複雑に絡み合っていた。