私が恋した男(旧題:ナツコイ~海男と都会男~)
「送信っと」

 午前中の時間をほぼ校正と入稿にあて、パソコンのマウスを使って、青木印刷会社へ『Focus』のデータを送信し、なんとか一つ目の山を越えた感じがする。

「姫川編集長、青木印刷への入稿が終わりました」
「営業が終わらないうちに行くぞ」
「はい」

 財布とスマホを持って、姫川編集長と一緒に編集部を出て、【もりや】へ向かう。

 四つ葉出版社から離れたところにある住宅街を歩き、久しぶりに見る景色は初めてここを通った時と変わらない静かな雰囲気だ。

「いつ通っても静かで、のどかですね」
「駅から離れているし、過ごしやすいんだろうな」

 私の隣を歩く姫川編集長も住宅街の景色を眺めていて、その表情はいつも見せる厳しさはなくて、本当の姫川編集長の顔ってどれなんだろう。

「なんだ?」
「いえ…、何でもありません」
「そうか」

 つい何でもないって答えると、姫川編集長は深く聞いてこなかった。

 今まで海斗さんのことを浮かべたりしていたけれど、心の中に姫川編集長の存在が少しずつ増えてきているのは何故だろう。

 もりやについてお昼を食べていても、そのことが胸に引っかかったままだった。
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