ハニーと吸血鬼(ヴァンパイア)

第2話

 名門アズナヴール家の馬車ともなればそれはそれは豪奢なもので、人が乗る客席はふっかふかのクッションがほとんどの衝撃を吸収してくれるおかげで、ガタゴト揺られてもお尻が痛くならない優れた造り。
 外観は高級木材を使用した落ち着きある光沢がその重厚感を際立たせ、更にはがっしりとした逞しく毛並みの良い馬二頭も足並み揃えてパッカパッカと軽やかに道を進んでいく。
 そんな馬車に何故、何故私は夜着のまま乗っているのか!
 そして何故!!ずっと赤ん坊みたいに横抱きにされていなければならないのか!!
 しかも抱いているのはアズナヴール家当主、シルヴェストル通称シルヴィ(女性の名前だよ、これじゃ)様だ。
 訳の分からないまま「あーもー!」と強引に実家から連れ出されたわけですが、一体ナニコレどういう拷問!?
 私はまだ朝の支度なんて一切整っていなかったのに!
 完全に起き抜けの状態だったのに!
 こんな豪勢な馬車に乗せられて、あまつさえ間近に超絶美形!!
 えぇ、なんと申しましょうか、シルヴィ様の美貌ったら噂に違わぬどころか、噂以上ですとも。
 よく見ると通常ありえない気がする濃い紫色の瞳は、見方によっては黒に見えなくもない。
 すらりと形よく弧を描く鼻梁はスッキリとした印象を強めているし、赤く血色のいい唇は瑞々しい。
 しっとりサラサラストレートな黒髪は一糸の乱れもなく後ろで一つに束ねられている。
 着ているものは当然シルクで作られた超高級品なんだけど、イヤミさのない落ち着いたエンジ色に金糸の刺繍で袖や裾が縁どられている。
 本物の貴族って彼のことを言うのね、ってすんなり納得しちゃう感じ。
 なーんていう美丈夫がさっきからずっと穴が空くんじゃないかってくらいこっちを見つめてる。
 ムリムリムリ、そんなキラキラ攻撃耐えられません!
「あ、あの、シルヴェス…」
「シ・ル・ヴィ」
 ばちこん、とウィンクまでされたら抗えません。
「シルヴィ様?」
「なあに?」
 問いかける口調はもはや優しい「お姉さま」。
「ひとまず普通に座らせていただけたらなぁ、なんて」
 恐る恐る伺うと、にっこり笑顔で
「ダーメ」
 即座に却下。
 何でだろう。
 私いつまでこの拷問に耐えればいいんだろう。
 目を逸らせば即行顎を持って元に戻されちゃうし、どうにか起き上がろうとすればものすごく優雅な腕の動きをさせながらいとも簡単に押さえつけられちゃうし、瞬きは出来るのに何故か瞼を閉じることも出来ないから結局シルヴィ様と見つめあわなきゃいけない。
 しかもシルヴィ様の深い紫色の瞳は見ているとだんだん意識が吸い込まれていく感覚に陥っちゃう。
 すうっと引き込まれて「ああ、もういいかなぁ」なんて気までしてきちゃうんだから恐ろしい。
 ついでに私が焦れば焦るほど、何故かシルヴィ様の機嫌が良くなっている気もする。
 今や彼は至極満足そうにこちらを見て頷いていた。
 なんで。
「理由なんて簡単よ。ずーっと待ってたハニーちゃんが腕の中にいるんだもの。嬉しいに決まってるでしょ」
 えぇっ?
 待ってた?待ってた、ってどういうこと?
「んー、それはねぇ、話せばちょっと長くなるんだけどぉ、簡単に言うと生まれた時からハニーちゃんに会えるのを待ってたの」
 短っ。
 長くなるんじゃなかったのか。
 素晴らしい文章力だわ。一言でまとめちゃってる。
 でも尚更疑問は深まるだけ。
 生まれた時から、って…シルヴィ様が生まれた時?私が生まれた時?
「決まってるじゃない、アタシが生まれた時よー。その時から分かってたの。いつかアタシの前にカワイイ小鳥ちゃん、もといハニーちゃんが現れるって」
 小鳥ちゃん?ハニーちゃん?
 25歳にもなった行き遅れ女を捕まえて何をおっしゃってるんでしょう。
 10代の「女の子」ならともかく。
「何言ってるの。アタシからしたら25歳なんてまだまだ幼い赤ん坊みたいなものよ?」
 だからこの格好なんですね。
「あらやだ、違うわよ。これはれっきとしたお姫様抱っこ!当たり前でしょー!アナタはアタシのお姫様だもの」
「お、お姫様!?」
「そうよー?だってアナタが花嫁でしょ?で、アタシが花婿。ほらあ、どっちがお姫様か一目瞭然じゃない」
 そりゃそうだけど、だって馬車に乗った途端からずっとシルヴィ様ってば口調がすっかり「お姉さま」なんだもの、美人だし、女の私がコンプレックスを散々並べ立てて引け目を感じちゃうくらい美しいんだもの、花婿っていうかなんていうか。
「あのねぇ、いくら口調が「お姉さま」だからって好みまでお姉さまだと思わないでくれる?アタシが好きなのはちゃんと女の子よ。目の前にいるあまーい可愛い子ちゃんよ。誰がなんと言おうとアタシはアナタの花婿なんだから」
 …そう、なの…?
「そうよ。まあね、分かってるわよ、厄介な性分だって。でもしょうがないのよ、これ。物心つく前から女6人に囲まれて育ってみなさいよ、言語環境限られてるんだから自然とこうなっちゃうの」
 なるほど、6人もいたらそりゃあマシンガントークだろうし、男性言葉を使う人がいないとなれば自然と女性言葉が身についちゃうのか。
「そういうこと。あ、でもねぇ、2番目の姉は騎士団にいるから男言葉なの。アタシより男らしくって格好いいわよ?」
 ふーん、そうなんだぁ。
 …って、え、ええぇっ?
「どうしたの、急にびっくりしちゃって」
「え、や、だって、だって今まで、あれっ?私、全部声に出してた?あれ?」
 おかしい。
 自然と会話しちゃってたけど、ちょっと待った。
 大部分は私、モノローグだったはず。
 え?
「あー」
 軽く混乱する私を見つめて、あちゃあ、って感じにやたら艶のあるため息。
「気付いちゃった?」
「っていうか…え?じゃあ、まさか」
 私、無意識の内に声に出してたの!?
「ちっがうわよ!」
「えっ」
「ああ、そうよね、ごめんなさい。これはアタシのせい」
「どういう事ですか?」
「アナタの心の声ね、今のところ全部筒抜けなの。声に出さなくても、アタシには聞こえちゃうのよ」
「え゛」
「屋敷に着いたらちゃんと話そうと思ってたんだけど、その前に説明したほうが良さそうね。ところでハニーちゃん、昨夜のこと、どこまで覚えてる?」
 シルヴィ様は急に真剣な、というか心配そうな表情を浮かべて問いかけてくる。
 昨夜のことって…もしかして、夢のこと?
 思い当たって夢の内容を思い返してみれば、何だかものすごく恥ずかしくなってきた。
 覚えていることは多々あれど、一番印象に残っているのが「気持ちいい」って感覚なんだもの。
 ああやだ。
 本当に恥ずかしい。思い出したくないのに忘れられないというか、忘れたいのにやたら鮮明な感覚が記憶に残っていて、それが細胞に刻まれてるみたい。
「言い得て妙ね。ほとんど正解よ」
「正解?」
「昨夜たくさんキス、したでしょ?」
「き、キス!?」
「そう。ああ、ハニーちゃんは寝ぼけてたからマッサージと勘違いしてたけど、あれね、キスよ、キ・ス!それも結構ふかーいやつ。その時にアタシの蜜、飲んだでしょ?覚えてる?」
 何かそれっぽい事を言われたような気がする、けど。
「蜜って?」
「体液、と唾液、どっちがいい?」
「え゛っ?」
「まあどっちでもいいわね、同じだから。アタシの体液を取り込むとね、吸血する時に痛みを感じなくて済むのよ。全然痛くないわけじゃないんだけど、何もしないよりずっと楽なはずよ」
 確かに痛くなかった。チクッとしたくらいで、それも虫に刺されたのかな、って思うくらい。
 でもちょっと待って、問題はそこよりも「きゅうけつ」?
「吸血って、あの、ドラキュラが女の人の首筋に牙立てて血を吸う、吸血?」
「ええ。アナタの血はアタシにとって何よりも強力なエネルギーなの。それも魔力を増幅させてくれる、っていうオマケ付き」
「…えーと、つまりそれって、シルヴィ様は吸血鬼ってこと…ですか?」
「ヴァンパイア、って言われる方が好きね」
 つまりどっちも同じ。
 じゃあ昨夜最後にされたアレは、吸血…?
 私、血を吸われて気持ちいいと思ったってこと?
 うわー、結構ショック…。
「あー、あの、ごめんね、ハニーちゃん。そんなに落ち込まないで。本当はこんなに急ぐつもりなかったの。でも事情が急変してね、それもこれも全部あの魔王が、ってそれは置いといて。とにかく、これからアタシは全力でアナタを守らなきゃいけないの。そのためにはアナタの血をもらって強くなる必要があって、昨夜ちょっとだけ先にもらったのよ」
「あの。私聞き逃しません。断固追求します。急変した事情とか魔王とか、私を守るとか、全部洗いざらいちゃんと説明してください」
 もうショックすぎて逆に頭の中、冷静沈着。
 淡々と問い返してじっとシルヴィ様を見つめた。というより見据えた。
 訳分かんないだから。
 夢の中で何が何だか分かってないのに血を吸われちゃうし、了解も得ずにキスされちゃうし。
 私が25年間大切にとっておいたファーストキスだったのに!
 それを簡単に奪った挙句あんな、あんな破廉恥な…ッ。
 思い出しただけで全身にめぐる血が沸騰しそう。
 こんな恥ずかしい思いまでしていきなり結婚だなんて言われて連れ去られて、しかも相手が夢に出てきた「お姉さん」(だと思ってた人)で!
 この際嫁ぎ先がどこかなんていうのは大した問題じゃない。
 嫁ぐ相手が問題だと思う。
 一緒にいるだけでありとあらゆるコンプレックスを刺激され、仮にも一応女性としての、欠片くらいは残っていた自尊心も木っ端微塵に吹き飛ぶような人と結婚ですか?
 しかも吸血しちゃうような人と結婚ですか?
 何かの間違いでしょう。
 お願い、間違いだって言って。
 祈る思いで両手まで組み合わせて胸の上に掲げたというのに
「悪いけど絶対言わないわよ。間違いだなんて」
 シルヴィ様は迫力満点の目力で私を見つめ返していた。
 そうだ、言っても言わなくても私の気持ちは全部伝わっちゃうんだっけ。
 感じたことも考えたことも全部筒抜け。
 それならどのくらい私が混乱してるかも分かるでしょう?
 結婚て少なくともお互いのことをきちんと知ってからするものじゃないの?
 政略結婚ならともかく、これがそうじゃないことぐらい明白だもの。
 相手には自分の事を何でも知られて読まれてて、それなのにこっちは相手のことがほとんど何も分からないなんて、不公平にも程があるわ。
 このまま流されて結婚なんてするもんですか!
 と、決意を固めて真っ直ぐ彼の瞳を見つめた、その時だった。

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