ハニーと吸血鬼(ヴァンパイア)

第3話

 最高級馬車の上、もといシルヴィ様の膝の上、しっかり抱きかかえられつつ何度も「魔物」たちに襲われて怯えながら道中を過ごした私を待っていたのは、ギリシャ神殿もびっくりなほど大きな大きなお城で、ほとんど王様が暮らす宮殿といってもおかしくないんじゃないかしら、というレベルの伝統的で厳かな雰囲気の漂うアズナヴール城。
 意外なことに、アズナヴール城は切り立った山の中腹辺りに建てられており、元来た道をよく見てみれば、かなり足場の悪い山道だったことが分かる。
 代々続く名門公爵家というから、てっきり王宮の近くにあるのかと思っていたのに。
 これなら多分我が家より首都から遠いんじゃないかしら。
 だってここは国境近くの山脈にあたるはず。
 あ、ちょっと寒い。
 ぶるっと身震いして両腕を抱え込むと、シルヴィ様がすぐに背後からぎゅうっと抱きしめて包み込んでくれる。
 とてつもなく恥ずかしいけどあったかいから我慢する。
 心の中で呟きながら彼に視線を向ければ、分かってる、とばかりに苦笑と頷きが返ってきた。
 結局そのまま歩くのは難しいからと再び横抱きにされて城内へ運び込まれると、そこで待っていたのは「うわぁ」とも「きゃあ」とも「まあ」とも「ひゃあ」ともつかないいくつもの黄色い声で。
 だからこそ
「やあ、よく来たね」
 という筋の通ったアルトが心地よく響いた。
 腰より長くなびく後ろ髪を一つに束ねて高い位置から垂らすポニーテール。
 コテをあてたかのように真っ直ぐなグレーの髪は絹糸みたいに柔らかな輝きを宿し、歩くリズムに合わせて優雅に揺れる。
「君が噂のハニーちゃん、か。道中怖い思いをしただろう?愚弟はちゃんと君を守れたかな?」
 男装の麗人とはまさしく彼女のことだと思う。
 すらりと長い脚は男性の正装に身を包んでいるせいで更に長く見えるし、カッチリとした上着は上品な深緑色で落ち着いて洗練された雰囲気を強めている。
 さらにシルヴィ様とそっくりな切れ長の瞳は心からの歓迎を示すかのように優しく細められていた。
 きっと2番目のお姉さまね。
 そして彼女に続いて足音もさせずふわふわと押しかけてくるのはまるでギリシャ神話に出てくるミューズのよう。
 不思議なことにシルヴィ様と2番目のお姉さま以外は全員色素の薄い金髪に碧い瞳。
 それぞれに異なる美しさを持っているけれど、明らかにそっくりな4人姉妹だ。
 どうやら2番目のお姉さまと私たちの様子を見ながら、近づくお許しが出るのを待っているらしい。
 全員が揃ってお姉さまの背後にくっついて楽しげに様子をうかがっている。
「ちょっと愚弟って何よ、愚弟って。見れば分かるでしょ?ハニーちゃんの事はアタシがちゃーんと守ったんだから!」
「そのようで安心したよ。一番の心配はむしろシルヴィ、お前の方だったんだが」
「何それ、何が言いたいの?」
「一線を越えなければ何をしてもいい、というわけではないだろう。きちんと彼女の了承を得た合意の上だろうな?」
「え。えぇ、それは、まあね、もちろん」
「はぁ。所詮は男だな。甘い蜜の前ではその誘惑に打ち勝つ事は無理難題、か」
「そんな風に言うけどね、ハニーちゃんの誘惑はとてつもないのよ?感じるでしょ?この芳醇な香り。それでいて生まれたてのフレッシュさにまろやかさが違和感なく混ざっていて、純度も100%。正直これほどだとは思わなかったわ」
「確かに、これでは低俗な魔物たちはひとたまりもないだろうな。我々上級魔族でさえ油断したら一瞬で酔いしれそうだ。またたびを嗅いだ猫のように」
 そう言ってお姉さまは指先でさらりと私の髪を一束掬い上げて流す。
 清廉潔白、澄み切った美しさの中に凛とした色香が漂う。
 黒くて長いまつげがくるりとカーブを描いて天を向き、グレーの瞳がこちらの瞳を覗き込むかのようにしっとりと視線を絡ませてくる。
 な、なんて、なんて破壊力。
 バクバク脈打つ心臓の音を聞きながら、ドギマギしてお姉さまの仕草全てを目で追ってしまう。
 男性でも女性でもない、見事なバランスで成り立っている美しさと強かさ。
 まるでよく鍛えられた剣みたい。
 うっかり見惚れていたら、ちょっと不機嫌そうなシルヴィ様が抱きかかえる角度を変えて、私の顔を彼の胸の方へ向けてしまった。
 残念。
「ハニーちゃん?残念てどういうことよ。セレ姉様が素敵だってことは認めるわ。でもね、相手は女よ、お・ん・な!アナタの花婿はこっち!お願いだからよそ見しないで」
 はいはい。
 っていうかまだ承諾してないわよ、結婚するって。
「うそ、だって守られてくれるんでしょ!?」
「それは承諾したわよ、だって怖かったんだもの。あんな怖い生き物に襲われたらいくらなんでも勝てる気がしないし、命の危険を感じたもの。でもシルヴィ様が守ってくださるなら、血をちょっと飲まれるくらいは我慢できるかな、って」
「我慢って…そんなにイヤ?アタシと結婚するの、そんなにイヤ?」
 涙目で迫ってくるけど、もうだんだん慣れてきたもんね。
 そう簡単にはほだされません。
「シルヴィ、だから最初に言っただろう。手順を踏んで一つずつ進めなさい、と。いくら喉から手が出るほど欲しい相手だからといって、焦れば相手の気持ちをないがしろにしてしまう。そうされたら女性が心を閉ざすのは当然だ。君のその類希な美貌は何のためにある?ヴァンパイアとしての飛び抜けた能力は何のために備わっているのだ。全て正しく使えば初心な女性ほど簡単に君の手に落ちてくれるというのに」
 ほぅ、と渋い表情で残念そうにため息なんて付きながら、色気ダダ漏れのお姉さまが言う。
 えええっ!?
 つまり今のって、シルヴィ様の外見や能力は、持ってるもの全て使って全力で相手を陥落させてなんぼのもんだろ、ということですか!?
 しかも窘めてるのかと思いきや、お姉さままでシルヴィ様の味方をしてるじゃありませんか!
 あれっ、おかしい、おかしいわ!
 私追い詰められてる?もしかしなくても蛇にじっくり締め上げられるみたいに追い詰められてるっ!?
「ああ、言い忘れていたがハニー、アズナヴールは代々粘着質な家系でね。狙った獲物は決して逃さない事で有名なんだ。だから安心して私たちに可愛がられるといいよ」
 綺麗な形の唇が耳元に寄せられて、吐息とともに囁きかけられる。
 背筋がゾクゾクして思わず肩を竦めれば、とどめにクスッと微笑んだ吐息を吹きかけられて、あーもう、私どうしたらいいの…なんて頭が真っ白になる。
 「安心して」が「観念して」に聞こえたのは決して幻聴なんかじゃないはずだ。
 ウソ、ムリ、終わった気がする!
 ヤーダーッ、私まだ自由な独り身を楽しみたかったのーッ。
 せっかく丹精込めて育てた葡萄も収穫期に入って、これからみんなで葡萄踏みしてワインを作って、それから楽しく収穫祭だわ、って楽しみにしてたのに。
 我が家で飼ってる雌牛の子供がもうすぐ生まれそうだから、毎日見守って仔牛を取り上げてあげなくちゃと思ってたのに。
 みんなでのんびり家畜を放牧しながら大自然を満喫して…
「あら、それ全部ここでやらせてあげるわよ。馬も牛もたっくさんいるし、葡萄畑だけじゃなく色んな果実畑もあるの。麦だって育ててるわ。大自然ならここでも十二分に満喫できるから楽しみにしてて!」
 …そうですか。
 全部揃ってるんですか、むしろ実家より充実してる雰囲気ですよね。
 果実畑なんて通常こんな場所に色々あるはずがないもの。
 平地ならともかくここは中腹とはいえ山よ、山。
 馬車が通った跡が轍になって辛うじて道と呼べる程度で、近くには獣道がたくさんあるし、山道だから当然平坦なはずもない。
 イコール逃げられない。
 じわじわ周囲から固められている気がしてなりません。
 いっそひと思いに天に召される方がマシかもしれない、何か別の危険なイベントがたくさん待ち受けている気さえするわ。
 …でも、そういえばシルヴィ様、なんの躊躇もなく動物の世話も畑仕事もさせてくれる、って言った?
「ええ、言ったわよ。どうして躊躇する必要があるの?ハニーちゃんのやりたいことは何でもやらせてあげたい、って思うもの」
 さも当然のことのようにおっしゃいますが、通常貴族の間では「家畜の世話だの土いじりだのは令嬢がやることではありません!はしたない!」とか「みっともない!」とか「みすぼらしい!」なんて言われて、嫌われるのですが。
 名門アズナヴール家にそんな貴族としては到底ありえない事をしたいと願うような人間がいてもいいのでしょうか?
「いいわよ、いいに決まってるじゃない。当たり前じゃないの。ここにいる全員誰も反対なんてしないわよぉ!貴族って言ったってたかだか人間の価値観で凝り固まったイメージでしょ?そんなの魔族からしたらどうでもいいわ、これっぽっちも気にしないわよ。そんなちゃちな価値観なんかより、大切なのはハニーちゃん自身だもの。動物の世話をするって大変なことよ?それを一生懸命やってきたアナタはとっても優しい子だわ。しかも葡萄からワインまで作れちゃうのよ?ワインは国中の人が楽しむ素晴らしい飲み物だわ。たくさんの人を喜ばせるワインを作れる令嬢が果たして何人いるかしら。ダンスが上手だとか楽器が上手だとか、知識が豊富だとかおしゃべりが趣味だとか、そんな令嬢なんて何人いても大して役に立たないわよ。その点ハニーちゃんはカワイイ手で生活に必要なものを作り出していけるんだもの。素晴らしいに決まってるじゃない!」
 ぎゅむっ
 熱弁を振るって思いっきり抱きしめられましたが…ふうん、シルヴィさんはそんな風に思ってくれてるんだ。
 一部「魔族」とか怪しい単語が聞こえた気がするけれど、褒めてもらえたのはちょっと嬉しい。
 頭ごなしにお気楽暢気なご令嬢と違う事をしようとする私を否定されるのは、やっぱりとてもショックだから。
 例え生活のために続けてきたことであっても、そこから学んだことは多い。
 だからこそ自分のしてきたことを誇りに思っているし、何ら恥ずべきことではないと思っている。
 それを認めてもらえたのは、うん、すごく嬉しい。
 思わず頬が緩んでしまった私の頭を、お姉さまが優しく撫でてくれる。
「人間の慣習なんて大したことはない。ハニーには他の女性にない良さがたくさんあるんだ。堂々としていればいいよ。ただし、危険なことだけはしないでくれ。君が傷つくのは見たくない」
「はい」
 柔和な声と雰囲気で迫られたら、いつの間にか素直に頷いてしまった。
 それに不服な人が一人。
 私の頭上で舌打ちする。
「面白くないわ。どーうしてハニーちゃんはセレ姉様には素直なの?ねぇ、どうして?そんなにセレ姉様が好き?困ったわね、いっそアタシ女になろうかしら」
 なんて斜め45度曲がった解釈してる。
 それならそれでいいけど、私絶対女性とは結婚しませんよ?
 だって別に女性を恋愛対象にしているわけじゃないもの。
 ああそうか、ということは是非シルヴィ様に女性になっていただいて、今回の結婚話は最初からなかったことにしてもらえばいいんだわ!!
 私さすが!天才!…なんて盛り上がってみたけれど。
「それならやっぱりハニーちゃんは男性が好き、ってことでしょ。だったらこのままでいいわね。アタシが徹底的に可愛がってあげるから。楽しみにしててね?」
「…え」
「ね?」
 ぎらりと光る鋭い視線で念押しされて、首を横に振ることももちろん頷くこともできない私は、ただひたすら視線をそらして、彼の迫力に耐えるのみとなった。






 続く
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