ハニーと吸血鬼(ヴァンパイア)
「え?」
「アナタはアタシの運命の相手だから。ヴァンパイアにとって運命の相手は香りが違うの。だから見つけ出すことが出来た」
「運命」その言葉が水面に波紋を作るように心の中に響き渡る。
ゆっくり心の奥を揺らして、少しずつ染み込んでいくみたいに。
温かい。
これも魔法?シルヴィ様の力?
あったかくて甘い、はちみつ酒みたい。
それに昨夜も嗅いだあの瑞々しい白桃のような香りが濃くなってくる。
これは…?
シルヴィ様に視線を向けた。
すると、艶然とした微笑が返ってくる。
「ハニーちゃんにはそう感じられるのね。嬉しいわ。それがアタシの香り。アナタだけが感じられる香りよ」
「私だけ?」
「そ。運命の相手は特別なの。二人にだけ感じられる香りがあるのよ」
「随分美味しい香りなんですね、シルヴィ様」
「アナタだって相当美味しい香りがしてるわよ?」
うふふ、なんて笑い声を聞いてると、ガールズトークでもしているような気分になってくる。
もちろん私が経験したガールズトークは実家で働くブランシュたちと、パンケーキやマフィンを手作りしながら井戸端会議みたいなものだったけど。
一緒に作ったおやつ、美味しかったなぁ。
みんなで生地をこねてオーブンで焼いて、香ばしい匂いが御屋敷中に漂う頃、一人また一人とティータイムに人が集まってきて、採れたてのミルクで作ったアイスクリームまで出てくることもあった。
なにこれ。
昨日まで普通にしてきたことなのに、懐かしいなんて感じてる。
今日から私、ここで暮らすの?
お互いが運命の相手だからシルヴィ様と結婚して、我が家も私も無事安泰?
分かってるの、分かってるのよ。
シルヴィ様もお姉さまたちも、このお城で働く人たちも、私を歓迎してくれてるってことは。
魔族や魔物に狙われてるっていうのも事実だって身をもって知ったから、シルヴィ様に守ってもらえるならそれはありがたいことだと思う。
例え代わりに血を提供することになってもね。
でも、でも…。
降って湧いたような結婚話に魔界だなんだって話をされて、頭も心も全然追いつかない。
美しすぎる人たちに囲まれて、本当は「キャー素敵!」って夢見る乙女になるのが正しいのかもしれないけど、そんなのムリよ。
いきなり初めて会った人を好きになれるわけない。
当然名門公爵家に嫁げるなんてとても名誉なことだっていうのは理解できるけど…結婚てこういうものなのかしら。
ある日突然目の前にやってくるもの?
見ず知らずの人でもいつか好きになれる?
家族になれる?
そもそも、花嫁って何なの?魔界の「鍵(キー)」って何なの?そんなに大仰な存在?
分からないことが多すぎるわ。
世紀の玉の輿婚だとは思うけど、社交界の花や蝶たちはシルヴィ様の事をちゃんと知っていたのかしら。
こっちが萎縮だとか恐縮だとかしちゃうくらいの美丈夫だってことは当然知っているとして、じゃあヴァンパイアだってことは?お姉さま言葉で喋るってことは?おとぎ話に出てきそうなくらい美しいお姉さまが5人もいらして、山は三つもあるしそこに大きなお城まで建てちゃうし、魔族なのにそれを隠して人間界にいるんだ、なんてことは多分、ううん、絶対知らない、わね。
「ええ、知ってるはずないわ」
シルヴィ様は延々続く私のモノローグをただ黙って聞いた後、言葉尻をとらえてそう答えた。
何故かしら、冷静な様子は変わらないのに、少しだけ嬉しそう。
口角が上を向いている。
彼は私の視線に気付くと、一層口元を緩めた。
「嬉しいわよ。ハニーちゃんが純粋な子だって分かったんだもの。アタシの思った通りだわ。匂いってウソつかないのよ。知ってた?」
ううん、と首を振るとふふってシルヴィ様が笑う。
「アタシの外見とかアズナヴールの財力とか肩書きとか、色んなものにキャーキャー言って群がろうとする人間はごまんといるけどね、それを目の前にしても揺るがないし素直に疑問を感じられる人は少ないの。っていうより皆無よね」
「でもお父様は喜んで私の結婚を承諾したんでしょう?」
「もちろん。だけど別にアタシの付加価値に目がくらんだんじゃないわ。アナタが幸せになれると思ったからよ。アズナヴールに嫁げばお金の心配はないし、貴族として堂々と暮らしていける。そこら辺のご令嬢たちにイヤミを言われることもないし、所詮子爵って馬鹿にされることもない。とろけるくらい溺愛されて蝶よ花よと可愛がられて幸せに過ごせるなら、これ以上最適な相手はいないだろう、って」
「お父様、そんな風に?」
「ええ」
満足げに彼は頷く。
でもすぐにハッとしたような顔をして
「ああ、そうだわ、ハニーちゃんには何が何でも幸せになってもらうからね」
なんて念を押すように言う。
「?」
疑問符を浮かべて首を傾げれば、彼は人差し指でちょんと私の額を小突いた。
あー可愛い、なんて言って抱きしめられる。
間近で感じるあの甘い香りが心地いい。
「貴方が何者であろうと構わないが、ミエルが幸せだと感じられないようであれば、貴方の命はないと覚悟することです」
「なあに?それ」
「お義父様の言葉よ。結婚のお許しをもらいに行ったらそう言われたわ。ミエルの幸せが唯一の条件だ、って言われたの」
「私の幸せ?」
「そうよ。だから堂々と宣言してきちゃった。ミエルさんの幸せは私の幸せです。二人揃って最高の幸せ者になりますから、ご心配なく。って」
宣戦布告みたいなセリフに思わず笑っちゃう。
するとシルヴィ様は優しくぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
きっと彼は全部感じてる。
私の戸惑いも、疑問も、寂しさも。
それも全部ひっくるめて彼は私を抱きしめている。
どうしてこんなふうに出来るの?
「決まってるわ。ハニーちゃんが好きだから。あのね、そう簡単に引き下がらないわよ、アタシ。もうずっと待ってたお姫様がここにいるんだもの、絶対アタシに恋してもらうわ。それで、いつか必ずハニーちゃんからキスしてもらうの。あ、こうしましょ!とりあえず今は婚約期間。で、結婚してもいいって思ったら、アタシにキスしてちょうだい」
「それでいいの?」
「いいわよ。だってアタシからはたっくさんキスしちゃうもの。毎日数え切れないくらいキスしたら、きっと病みつきになるわよ?」
茶目っ気たっぷりにウインクしてシルヴィ様が言う。
そんな風に言われると本当に現実になっちゃいそうで怖い。
でもこうやって抱きしめられているのは嫌じゃないんだ、実は。
だから困っちゃう。
いつか本当に絆されちゃいそう。
なんて思っていたら
「私たちを放って二人の世界か。若いとは素晴らしいものだな」
セレお姉さまにそう言われて、あれれ、もしかしなくても絆され始めちゃってる自分に気付いたのはそれからしばらく経ってからのこと。
そしてもう少しきちんと彼らのことを知りたいと思う自分に気付いたのも同じ頃だった。
続く
「アナタはアタシの運命の相手だから。ヴァンパイアにとって運命の相手は香りが違うの。だから見つけ出すことが出来た」
「運命」その言葉が水面に波紋を作るように心の中に響き渡る。
ゆっくり心の奥を揺らして、少しずつ染み込んでいくみたいに。
温かい。
これも魔法?シルヴィ様の力?
あったかくて甘い、はちみつ酒みたい。
それに昨夜も嗅いだあの瑞々しい白桃のような香りが濃くなってくる。
これは…?
シルヴィ様に視線を向けた。
すると、艶然とした微笑が返ってくる。
「ハニーちゃんにはそう感じられるのね。嬉しいわ。それがアタシの香り。アナタだけが感じられる香りよ」
「私だけ?」
「そ。運命の相手は特別なの。二人にだけ感じられる香りがあるのよ」
「随分美味しい香りなんですね、シルヴィ様」
「アナタだって相当美味しい香りがしてるわよ?」
うふふ、なんて笑い声を聞いてると、ガールズトークでもしているような気分になってくる。
もちろん私が経験したガールズトークは実家で働くブランシュたちと、パンケーキやマフィンを手作りしながら井戸端会議みたいなものだったけど。
一緒に作ったおやつ、美味しかったなぁ。
みんなで生地をこねてオーブンで焼いて、香ばしい匂いが御屋敷中に漂う頃、一人また一人とティータイムに人が集まってきて、採れたてのミルクで作ったアイスクリームまで出てくることもあった。
なにこれ。
昨日まで普通にしてきたことなのに、懐かしいなんて感じてる。
今日から私、ここで暮らすの?
お互いが運命の相手だからシルヴィ様と結婚して、我が家も私も無事安泰?
分かってるの、分かってるのよ。
シルヴィ様もお姉さまたちも、このお城で働く人たちも、私を歓迎してくれてるってことは。
魔族や魔物に狙われてるっていうのも事実だって身をもって知ったから、シルヴィ様に守ってもらえるならそれはありがたいことだと思う。
例え代わりに血を提供することになってもね。
でも、でも…。
降って湧いたような結婚話に魔界だなんだって話をされて、頭も心も全然追いつかない。
美しすぎる人たちに囲まれて、本当は「キャー素敵!」って夢見る乙女になるのが正しいのかもしれないけど、そんなのムリよ。
いきなり初めて会った人を好きになれるわけない。
当然名門公爵家に嫁げるなんてとても名誉なことだっていうのは理解できるけど…結婚てこういうものなのかしら。
ある日突然目の前にやってくるもの?
見ず知らずの人でもいつか好きになれる?
家族になれる?
そもそも、花嫁って何なの?魔界の「鍵(キー)」って何なの?そんなに大仰な存在?
分からないことが多すぎるわ。
世紀の玉の輿婚だとは思うけど、社交界の花や蝶たちはシルヴィ様の事をちゃんと知っていたのかしら。
こっちが萎縮だとか恐縮だとかしちゃうくらいの美丈夫だってことは当然知っているとして、じゃあヴァンパイアだってことは?お姉さま言葉で喋るってことは?おとぎ話に出てきそうなくらい美しいお姉さまが5人もいらして、山は三つもあるしそこに大きなお城まで建てちゃうし、魔族なのにそれを隠して人間界にいるんだ、なんてことは多分、ううん、絶対知らない、わね。
「ええ、知ってるはずないわ」
シルヴィ様は延々続く私のモノローグをただ黙って聞いた後、言葉尻をとらえてそう答えた。
何故かしら、冷静な様子は変わらないのに、少しだけ嬉しそう。
口角が上を向いている。
彼は私の視線に気付くと、一層口元を緩めた。
「嬉しいわよ。ハニーちゃんが純粋な子だって分かったんだもの。アタシの思った通りだわ。匂いってウソつかないのよ。知ってた?」
ううん、と首を振るとふふってシルヴィ様が笑う。
「アタシの外見とかアズナヴールの財力とか肩書きとか、色んなものにキャーキャー言って群がろうとする人間はごまんといるけどね、それを目の前にしても揺るがないし素直に疑問を感じられる人は少ないの。っていうより皆無よね」
「でもお父様は喜んで私の結婚を承諾したんでしょう?」
「もちろん。だけど別にアタシの付加価値に目がくらんだんじゃないわ。アナタが幸せになれると思ったからよ。アズナヴールに嫁げばお金の心配はないし、貴族として堂々と暮らしていける。そこら辺のご令嬢たちにイヤミを言われることもないし、所詮子爵って馬鹿にされることもない。とろけるくらい溺愛されて蝶よ花よと可愛がられて幸せに過ごせるなら、これ以上最適な相手はいないだろう、って」
「お父様、そんな風に?」
「ええ」
満足げに彼は頷く。
でもすぐにハッとしたような顔をして
「ああ、そうだわ、ハニーちゃんには何が何でも幸せになってもらうからね」
なんて念を押すように言う。
「?」
疑問符を浮かべて首を傾げれば、彼は人差し指でちょんと私の額を小突いた。
あー可愛い、なんて言って抱きしめられる。
間近で感じるあの甘い香りが心地いい。
「貴方が何者であろうと構わないが、ミエルが幸せだと感じられないようであれば、貴方の命はないと覚悟することです」
「なあに?それ」
「お義父様の言葉よ。結婚のお許しをもらいに行ったらそう言われたわ。ミエルの幸せが唯一の条件だ、って言われたの」
「私の幸せ?」
「そうよ。だから堂々と宣言してきちゃった。ミエルさんの幸せは私の幸せです。二人揃って最高の幸せ者になりますから、ご心配なく。って」
宣戦布告みたいなセリフに思わず笑っちゃう。
するとシルヴィ様は優しくぎゅっと抱きしめる腕に力を込めた。
きっと彼は全部感じてる。
私の戸惑いも、疑問も、寂しさも。
それも全部ひっくるめて彼は私を抱きしめている。
どうしてこんなふうに出来るの?
「決まってるわ。ハニーちゃんが好きだから。あのね、そう簡単に引き下がらないわよ、アタシ。もうずっと待ってたお姫様がここにいるんだもの、絶対アタシに恋してもらうわ。それで、いつか必ずハニーちゃんからキスしてもらうの。あ、こうしましょ!とりあえず今は婚約期間。で、結婚してもいいって思ったら、アタシにキスしてちょうだい」
「それでいいの?」
「いいわよ。だってアタシからはたっくさんキスしちゃうもの。毎日数え切れないくらいキスしたら、きっと病みつきになるわよ?」
茶目っ気たっぷりにウインクしてシルヴィ様が言う。
そんな風に言われると本当に現実になっちゃいそうで怖い。
でもこうやって抱きしめられているのは嫌じゃないんだ、実は。
だから困っちゃう。
いつか本当に絆されちゃいそう。
なんて思っていたら
「私たちを放って二人の世界か。若いとは素晴らしいものだな」
セレお姉さまにそう言われて、あれれ、もしかしなくても絆され始めちゃってる自分に気付いたのはそれからしばらく経ってからのこと。
そしてもう少しきちんと彼らのことを知りたいと思う自分に気付いたのも同じ頃だった。
続く