桜まち
「今は葉が散っちゃってほとんどないですから、ちょっと判りにくいですよね。けど、春になると、とっても綺麗なんですよ。この桜が咲き始めると、私、凄く幸せな気持ちになるんです。少しずつ芽吹いていた花たちが、ある日目を覚ましたみたいに一斉に花開いて、この渡り廊下をピンク色に彩るんです。咲き誇る桜がなんだかとっても凛々しく感じて、自分の事のように胸を張りたくなります。それに、優しく包み込んでくれているようなそんな気もして、穏やかな気持ちになるっていうか。巧くいえないですけど、とにかく好きなんです」
桜に向かって熱く語る私の話を、望月さんは黙って聞いてくれていた。
「俺さ。桜には、ちょっとした思い入れがあるんだよね」
「思い入れ?」
私が首をかしげると、うん。と小さく頷いて、望月さんの瞳はどこか遠くを見ているような瞳に変わった。
「この町にはさ、桜が多いだろ。商店街も桜並木になってるし」
「ですね」
「俺、就職して直ぐに、桜に惹かれてこの町に来たんだ。初めは金も無いから、駅からずっと遠いおんぼろアパートに住んでたんだけど。少しずつ、駅前に近づいてって――――」
と話したところで、ヒューッと細く小さな音を立てて渡り廊下に吹き込んできた風に私が身を縮めると、望月さんが話すのをやめてしまった。
「悪い。なんも着てないから寒いよな」
気遣う望月さんへ首を横に振ったけれど、思い入れの続きは話してもらえなかった。
またな。と手を上げた望月さんは、自宅玄関に踏み込む前にここの桜が咲くのが楽しみだな、とポツリ呟いた。
私は、櫂君のことでもう一度ありがとうとお辞儀をして見送りつつも、桜を楽しみにしている望月さんの思い入れがなんなのか気になった。
「桜に、どんな思い入れがあるんだろう……」
私は、今は枝だけの寒そうなその桜に目をやった。