桜まち
「櫂君さ。あんなことしておいて記憶がないなんて、酷すぎるよ」
私は、わざとらしく切ない目をしてみせる。
「あ、あんなことって……」
櫂君の不安そうな顔が少し青ざめ始めた。
「私の部屋で散々飲んで、なんて言ったと思う?」
「え……、あの。なん……て?」
私は数秒の間を置きつつ、櫂君の目を切なそうにじっと見つめた。
それから、ぷいっと目を逸らす。
「もう、いい。私の口からは言えない……」
「えっ、ちょっと……。気になるじゃないですか……」
櫂君は、どうしたらいいのか、わけもわからず戸惑っている。
普段から物事を完璧にこなす櫂君が困っているところなんて、なかなか見られないものだから私もつい調子に乗ってしまった。
「命令口調で、僕専用にして下さいって言ったことも憶えてないの?」
「僕、専用ですか……? えっとお、あ。はい、それは、なんとなくわかります」
「あ、それは憶えてるんだ。けど、あの事は忘れてるよね……?」
私は、わざと悲しげに目を伏せた。
「あの……こと……ですか……」
少し頬を引き攣らせる櫂君へ、追い討ちをかけるように演技をする。
「帰る時なんて、私に抱きついてきて、しかも、あんな……ひどい……」
「えっ!?」
そうそう。
あれは、本当に危なかったんだから。
望月さんがたまたまタバコを買いに出てきてくれなかったら、私は櫂君とキスをしてしまっていたかもしれないんだよ。
酔っているとはいえ、私相手にキスなんて、見境なさ過ぎですよ。
まぁ、ちょっと抱きつかれてドキリとしてしまったけれどね。
「僕、菜穂子さんにそんな早まったことを……」
櫂君は、両手で頭を抱えてしまった。