桜まち
私の父と母は、私が母のおなかに宿って少しした頃に離婚したと、昔亡くなる前の母から聞かされていた。
お祖母ちゃんは、そのことについて私に何かを話してくれた事は一度もない。
話すのも嫌なのか、自分から話すべきではないと思っているのか。
なんにしても、お祖母ちゃんの口から父の事は聞いた覚えがないのだ。
母から聞いた話では、父は仕事が忙しすぎて母とのすれ違いの末にうまく結婚生活が続けられずに離婚した、ということらしい。
私が母のお腹の中にいたことを、その当時父が知っていたのかいないのか。
今もって謎のまま。
母曰く。
菜穂子の事は私が望んで生んだのだから、父の事は一切関係ない。と一度断言したことがあって。
確か、私が中学の時だったと思う。
そう言い切った母に、それ以上父のことや、父と私のことについて訊ねることができず。
その後、母は事故で命を落としてしまったんだ。
そう、謎は謎のまま。
離婚して離れ離れになってしまった父の写真など、家には一切なく。
おかげで私は父の顔も、名前さえも知らない。
なので、どこか町ですれ違ったとしても、それが父だとは気づきようもないという状態だ。
お祖父ちゃんは、母が亡くなる五年ほど前に脳梗塞で亡くなった。
母がえらく泣いていたのを憶えている。
お祖母ちゃんは、気丈にも涙一つ零さず。
夜遅くにお祖父ちゃんの写真に向かい、長い間お疲れ様でしたね。もう少しそちらで待っててくださいな。とポツリ零しているのを私はトイレに行く足を止めて聞いてしまったことがある。
母が亡くなり、私は大学生時代をお祖母ちゃんとこの家で一緒に過ごした。
そのままずっと一緒でも私はまったく構わなかったのだけれど、お祖母ちゃんの方から、少し自立した方がいいという提案を持ちかけられ、私はマンションでの一人暮らしを始めたんだ。
けれど、なんやかんや言ってもたった一人残された身内の孫には甘かった。
マンションの家賃をただにしてしまうなんて、本当に甘いよ、お祖母ちゃん。
そして、ありがとーーー。
心の中では声を大にしていつだって感謝をしている私です。
なもんで、肩をモミモミ。
今日は、とことん揉ませていただきます。