桜まち
「一目惚れ?」
そうか。
これは、もしかしての一目惚れなのか?
そして一目惚れならば、人生初の経験ではないでしょうか。
恋多き人生ではないけれど、あんな一瞬で虜になるなんて、自分でも驚きだわ。
とにかく素敵だったのよ。
あのスーツ姿も。
サラリとしたヘアスタイルも。
長い手足も。
全てに見惚れてしまっていたんだもの。
何なら、後光さえ見えた彼が持っていた鞄になりたいくらいだったよ。
視線を上に向けて朝の彼を思い出していると、出社時からバリバリと仕事をこなしている櫂君が目の前でパンパンと大きな音を立てて手を叩く。
目を覚ましなさい、とでも言われているようだ。
「はーい。そこまで。それ以上余計な事は考えないでくださいよ、菜穂子さん」
「何よ、余計なことって」
不満顔で見返すと、まあまあ。なんて軽くあしらわれた。
櫂君は、私の抱く淡い恋心を難なく砕き落とすように、仕事という現実を容赦なく突きつけてくる。
「今日も忙しい時間の始まりですよ。ちゃっちゃと片付けちゃいましょうよ。ね」
言葉と共に資料がドサリと机に置かれた。
その厚みにげんなりしている私へ、後輩の櫂君は小悪魔的な笑顔を向けてくる。
何だその憎めない笑顔は。
その顔に、私は騙されないぞ。