君と私を、夜空から三日月が見てる
                ☆
その惨劇を目の当たりにして、私は、ぽかーんと口を開けたまま、フリーズした。
そんな私の隣には、ベテラン警備員の橋本さんが、申し訳なさそうな顔をして立っていた。

2Fの客用男子トイレに一歩足を踏み入れたら、すさまじい異臭が!
床には嘔吐物と血液が散乱してて、どんな吐き方をしたのか、壁も便器も嘔吐物まみれ!
一体何をどうしたらこうなるのよ!?
これじゃ、お客様が誰も使えないじゃない~!?

言葉もでない私をちらっと見て、まもなく60代だろう橋本さんは、目元のシワを深くしてあははと笑った。

「そんな顔にもなるよな~?これじゃあな~?」

「な、なります、ね・・・」

「なんか、お客さん、吐きながら転んで、ゴミ箱に頭ぶつけて切ったらしくて、それでパニック起こして売り場で大声だしてたみたいだぞ~
人騒がせだよな~?」

「人騒がせというか・・・・朝からお酒飲んでこれとか・・・
あ、ありえないです・・・普通に」

「今日は、いつものおにーちゃんもいないんだろ?」

「お、遅番なので、午後にならないと来ません・・・」

そう答えて、私は、その場に倒れ込みたくなった。
こんな日に、頼りの柿坂君がいないなんて・・・!
でもこの惨状は片付けないといけないし・・・・
どこから手を付けたらいいのぉ・・・・?!
か、柿坂君、助けて~・・・・!

そう思って、真面目に泣きそうになった私。
でも・・・その時だった。
呆然とする私の背後から、聞き覚えのある低い声が聞こえてきたのだ。

「お疲れ様です。遅くなりました、嘔吐物処理、今から始めます」

「!?」

私は、はっとして背後を振り返った。
そこに立っていたのは、きりっとした眉と一重の切れ長な目元が印象的な、ツーブロックショートの中背の男の人。
ウェストバックに薬品の入ったボトルを下げ、二重にしたビニール袋を大きめのバケツに入れている。
使い捨てのゴム手袋をして、使い捨てのペーパーを持ったその人は・・・そう、清掃部門の一番偉い人!
通称『ボス』こと、東郷 聖二さんだった!

「と・・・東郷さ、ん?」

私は何故彼がここにいるのかわからずに、思わずぽかーんとその名前を呼んでしまった。
それに答えたのは、警備員の橋本さんだった。

「いや~・・・きっと長谷川さん一人じゃ無理だなと思ってさ~
それで、東郷くんに連絡してみたんだよ。
すまんね東郷くん、よろしく頼みますよ。
清掃が完了するまで、お客様には他の階のトイレを使ってもらうように誘導するんで」

「迅速に終わらせます、お客様の誘導、よろしくお願いします」

東郷さんは、極めて冷静な口調と表情で橋本さんにそう言うと、くるっと私の方に視線を移した。

「いつまでもぼーっとしてるな、仕事だぞ。
俺たちの仕事は、迅速に汚損部を洗浄し、お客様が少しでも早く清潔に施設を使うことができるように勤めることだ、わかったな?」

低い声で冷静に、ちょっと強面の口調でそうびしっと言われて、私は思わず背筋を正した。

「は、はい!」



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