聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~
二人が連れだって居間に行くと、夕食の鍋をかきまぜるアクスと、食卓の準備をするマリアの姿があった。

「マリアさん、もう起き上がって大丈夫なのですか?」

リュティアが驚いたように声をかけると、

「リュティア様のおかげです。もうぴんぴんしていますわ。本当に、なんと感謝の気持ちを申し上げればいいか…。それより、リュティア様のほうこそ、お体は大丈夫ですか?」

マリアは本人の言う通りぴんぴんしていた。てきぱきと皿を用意していくその腕が、無残にちぎれていたことなど想像もできない。これが、自分の力…。この力がどう世界の役に立つのかはわからないが、やらなければならないのだ。きっと。

「私も、もう平気です」

リュティアはそれが精いっぱいの虚勢だとわかっていたが、そう口にせずにはいられなかった。

「今夜は夕食をご一緒しましょう。今、できるところですから」

アクスの小屋にたどりついてから、これははじめてのことだった。

リュティアとカイの二人は常に外で食事をし、野宿をしていたからだ。

カイが期待した通り、何かアクスの気持ちに変化があったのかも知れない。

しかしアクスは無言で四人分のシチューを皿に盛り、全員が着席してからも、何一つ語ろうとしなかった。

芋と野菜のごろごろ入ったシチューは絶品だった。こんな時でもはっきりとわかるほどに。リュティアは彼の料理の腕に驚かされたが、それを伝えるにはアクスの表情は厳しすぎた。

四人は終始気まずい沈黙を守ったまま、夕食を終えた。

「アクスさん」

沈黙を破ったのは、カイだった。

「どうかお願いします。私たちの護衛についていただけませんか」

カイが深く頭を下げた。

リュティアも覚悟を決め、同じように頭を下げた。

―決めたことは覆すな。

父に教わったことだ。

リュティアはもう、決めてしまった。

戦い抜くためには、彼の力が必要だと。

自分のために誰かが傷つくのは、怖い。

怖いけれど、決めたのだ。

何一つ受け止められず、何を成す自信もなく、すべてを恐れたままだけれど。それでも。

「…………」

アクスは眉根を寄せて一点をみつめたまま、押し黙っている。

たまらずと言った様子で、マリアが席を立ちあがり深々と頭を下げた。

「お父さん、私からもお願いします。リュティア様は私の命を救ってくださったのですよ。恩返しをしたいと、思いませんか?」

沈黙。

隣のカイがごくりと唾を飲みこんだのがわかった。今までのアクスであれば即座にはねつけていたであろうから、この沈黙に、期待が高まっているのだろう。

リュティアも固唾を呑んで、アクスの返答を待った。

そしてアクスの重々しい声が告げたのは――

「マリアを助けてくれたことについては、礼を言う。だがそれだけで、お前たちを信用することなどできはしない。人間など、信用ならんものだからだ。護衛はできん。私はもう戦わん。恩返しは今夜一晩泊めてやることだけだ。明日にでもここから出て行ってくれ」

「お父さん!」

アクスは荒々しい仕草で席を立つと、隣室へと消えてしまった。

がっくりとうなだれるカイを横目に、リュティアは思った。

アクスには拭い去りがたい人間不信が垣間見える。

いったい何が、彼をそうさせてしまったのだろうか?

転がってきた材木からリュティアを守ってくれた彼。その技は本物だった。彼があの英雄アクスその人であることは疑いようがない。

それなのに何があれば、こんなアタナディールの辺境にこもりきりになるというのだろう。

隣室に消えたアクスの背中が、岩のように頑なに見え、リュティアに強い印象を残した。
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