聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~
狂ったように暴れだした地竜を相手に、漆黒の人影は流れるように動いた。

振り下ろされる爪の攻撃を右に左にかわしたかと思うと、手にした銀の剣で地竜の目に斬りつけた。どす黒い体液が飛び散り、地竜がまた悲鳴のような咆哮をあげた。

月明かりに漆黒の人影の横顔が浮かび上がった。それは漆黒の前髪をなびかせた息をのむほど凛々しい少年の横顔だった。

―誰?

リュティアの視線は謎の少年に釘付けになった。

銀の軽鎧―胸当て、肩当て、籠手にブーツといういでたちで、少年はしなやかに跳躍して地竜のうねる尻尾をかわし、鮮やかに地竜の背中を斬りおろした。

信じられないことだが、少年は手にした剣一本で地竜と互角に渡り合っていた。いや、互角どころか少年の方が押している。飛び退って距離をとり、動きを読んで突く―少年の剣技は見事だった。リュティアはこれほどの達人を見たことがなかった。

固唾を呑んで見守るリュティアの前で、怒り狂った地竜は少年をその強靭なあごで粉砕しようと噛みつき攻撃を仕掛けた。少年はそれを左手の銀の籠手で辛うじて受け止めたが、籠手は音を立てて粉々に砕け散った。

しかし、それも少年の作戦のうちだったようだ。少年は左手でぎりぎりまで地竜をひきつけ、右手の剣をずぶりと地竜の首に埋め込んだ。

地竜が暴れた。木々がなぎたおされ、えぐられ、生木のかけらがあたりに飛び散った。土煙にむせるリュティアに、その時あまりの痛みに我を忘れた地竜の尻尾がぶんと空気を切って襲いかかって来た。

リュティアの体を強い力がさらった。

草原を吹きわたる風の匂いがリュティアを包んだ。銀の胸当ての堅い感触と背中をこする大地の感触から、リュティアは少年が自分をかばって抱き、転がって攻撃をかわしたのだと察した。間近に少年の息づかいが感じられた。

ドクンと心臓が跳ね上がった。

―なぜ…?

少年はリュティアを軽々と横抱きに抱き上げたまま、高く跳躍し、地竜の脳天にその剣を柄まで深く突き刺した。そして―

「 “おお、雷よ そは怒り 永久凍土の深みより出でし力”」

少年が朗々と響きの良い声を張り上げると、信じられない出来事が起こった。

突如として空に強烈な光が走り、激しい稲妻が剣を、地竜を貫いたのだ!

黒焦げになった地竜がズォォッと大地をひきずるように倒れるのを、リュティアは見ていなかった。全神経が少年に集中していたからだ。

―この人…。

ドクン、と鼓動が高鳴る。

少年が動かなくなった地竜の脳天から剣を引き抜いた。それはあれほどの稲妻に貫かれたというのに美しいままだったが、それもリュティアの目には入らない。

リュティアは間近から、ただただ、呼吸も忘れて少年の横顔を凝視していた。

鋭い漆黒の瞳、通った鼻筋、形よい唇。触れれば冷たく、光に透かせばより漆黒を増すだろう、黒い短髪。額には虹色の美しい宝玉がはまった額飾りを身に着けている。

初めて見る人物だ。

だからこの気持ちを懐かしい、と形容するのはおかしいのかもしれない。

けれどリュティアはなぜか、懐かしいような、ずっと昔からこの人を知っていたような、不思議な気分になっていた。

死を前にした恐怖も、どこかに吹き飛んでしまっていた。

ただ―

頭の中に響き渡る言葉が、声があった。

―吸っては吐くように、彼の人は自在に剣を操る―

―違うよリュー。君の星麗の騎士は未来にいる。きっといつか、とっておきの時に君を助けてくれるよ―

この人です、お兄様…!
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