聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~
リュティアの胸に熱くこみあげてくるものがあった。

それは透明な涙となって、リュティアの頬をぽろぽろとこぼれおちた。

頑是ない子供の頃を抜きにすれば、泣いたことなどなかったリュティア。

二か月前、恐ろしい体験をしても、それでも一滴たりとも涙を流さなかったリュテイア。

彼女の涙は長い、長い間凍り付いていたのだ。

その氷が今、溶けだした。

ぽろぽろ、ぽろぽろ。

「おい、お前、けがは?」

少年は驚いたようにその美しい双眸を見開き、リュティアを見下ろしている。

お礼を言いたかった。

辛かった、と言いたかった。

怖かった、と言いたかった。

そして、会いたかった、と…。

ずっと会いたかったと、言いたかった。

しかしこぼれるのは言葉ではなく、涙ばかりだった。

「お前は口がきけないのか?」

少年の呆れたような声。

知っている。知らないのに、知っているのだ。なぜだろう。

考えながら、やっとのことで、リュティアは首を横に振った。

「いいえ」

なんとか声が出た。

「なんだ、きけるじゃないか。けがはないのか」

少年はリュティアをそっと大地におろすと、リュティアの腕や足に視線を走らせる。リュティアは泣きながら、小さくうなずいた。

「…はい。助けていただき、ありがとうございました」

少年はふんと鼻を鳴らした。

「別に。お前を助けたわけではない。ただ、腕試しがしたかっただけだ」

少年はそっけなくそう言うと、流れるような動作で手にした刃を鞘におさめた。そしてそのまま背を向けた。

少年がそのまま立ち去ろうとしているのに気が付き、リュティアは我知らず声を上げていた。

「…あの!」

少年が体をひねって振り返る。なぜか、その一挙一動から目が離せない。

「騎士様、あなたのお名前を…」

リュティアの脳裏を星麗の騎士の一節がよぎる。

―その名をそっと、囁くがごとく明かすー

―しかし。

少年は吐き捨てるようにこう言った。

「お前などに、名乗る名はない」

そしてそのまま森の小道を歩き去って行った。
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