聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~
翌日、シアのすすめで、リュティアは馬車を下り、積極的にいろいろな人に話しかけてみることにした。

特訓の成果、リュティアの笑顔は、本人こそ知らぬものの、かなりの効果があった。

彼女の笑顔を前にすると、老いも若きも、大抵の者は皆赤面し、へらっと笑い崩れてしまった。

そこから話は発展し、リュティアは少しずつ隊商の皆と打ち解けはじめていた。

広場での休憩時、シアが喜び勇んで話しかけてきた。

「やったじゃないリュティア!」

「は、はい! シアのおかげです」

「こういう時は、こうよ! ほら、両手をあげて」

「両手をあげて?」

「はい! っと」

見よう見まねで持ち上げた両てのひらに、シアの両てのひらがぶつかって、小気味の良い音が鳴る。

「これがヴァルラム流の、“やったね!”の仕草よ」

「そんな仕草があるんですね」

「そうだ、あなたにチェスを教えてあげる。ヴァルラムで流行のゲームよ」

「チェス? どんなゲームなんですか」

「要は前に進んで王様を取っちゃえばいいのよ。簡単簡単」

二人の会話を隣で聞いていたジョルデが、割って入った。

「…シア。お前とことん弱いくせに、教えられる立場なのか?」

「なっ、弱くないもの! 教えて見せるわ」

どちらの主張が正しいかは、すぐにわかった。

シアはひたすら駒を王に向かって前に進めるばかりで、戦略らしい戦略を練られないらしい。しかしリュティアもお互い様だった。彼女は彼女で、駒をひとつずつ奪っていくのが心苦しく、ろくに前にも進めないのだった。

なんだかんだで(低レベルな)いい勝負をしている二人を、カイは遠巻きに眺めていた。

リュティアが花開くように笑顔を見せるのを、ぼんやりと眺めていた。

苦しい。

彼女が笑顔を見せてくれるだけならば、自分も共に喜べたはずだ。

だが、それがこんなにも苦しいのは…

彼女が一人になると、決まって「星麗の騎士」を開き、熱っぽいため息をついているのを知っているからだ。

彼女を変えたのが、あの日の少年との出会いだと、はっきりわかっているからだ。

カイは少年が現れて以来、この旅が苦しくてならなかった。食事もろくに喉を通らなかった。

リュティアがあの少年に抱いた想いは、ただの憧れだと信じたい。あの極限の状態の中、確かに少年はまばゆいまでにかっこよかった。だから憧れた、それだけだと。だがそれでは、リュティアの変化はどう説明できるというのだろう。紛れもなく、リュティアは最近輝くばかりに美しくなった。夢見るような瞳も、熱っぽいため息をこぼす唇も…。

そんなリュティアは見ていられないのに、どうしようもなく目を奪われる自分がいる。その恋する少女が見せる様々な可憐な仕草に、激しく身を焦がす自分の想いの強さを、打ちのめされるように思い知らされる。危険なほどの想いを。

この想いはずっと愛だと思ってきた。ならば、たとえ相手が誰であろうとリュティアの幸せを願うのではないか。それなのにカイは、相手が自分でないことなど考えるだけで気が狂いそうだった。

だから頭の中をガンガンと鳴り響く考えが苦しい。

もしも少年とリュティアが再会してしまったら、二人が言葉をかわしたら…。もう二度と少年とリュティアが会うことのないようにと願う自分をどうすることもできない。だというのに少年は追わなければならない。フローテュリア王国を再興するために。―リュティアへの想いと王国への忠誠心でカイの心は引き裂かれそうだった。
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