聖乙女(リル・ファーレ)の叙情詩~はじまりの詩~
3
彼女の眠りを破ったのは、胸騒ぎとしか言いようのないものだった。
何も、いつもと変わらぬはずの夜。
物音ひとつ立たぬ、花園宮の静かな夜。
しかし彼女は目覚めたのだ。悪い夢を見ていたわけでもないというのに。
「何……?」
自らの呟く声が闇に消え、リュティアは急に不安がこみあげてくるのを感じた。
「リィラ! リィラ! いませんか?」
いつもであれば隣室に控えたリィラが呼べばすぐにでも姿を現すというのに、今日は彼女の姿がない。
リュティアは思い立ち、カーテンを開けて窓の外を見た。
そこからはシリウスやラミアードたちが政務をとる白亜の主宮殿が見渡せる。
明かりの灯された主宮殿の回廊に、何か黒っぽいものが蠢いているのが見えた。
「あれは何…?」
嫌な予感がした。
リュティアは何かに突き動かされるように、夜着から普段着のドレスへ着替えた。
(主宮殿に行ってみよう)
花園宮から出るには何人もの門番と鍵をやり過ごさなければならないが、やってやれないことはないことをリュティアは知っている。過去に一度だけ、こっそり主宮殿の庭まで行ったことがあったからだ。
リュティアが部屋を飛び出そうとしたちょうどその時、部屋の扉がノックされた。
「私だ、リュティア。夜分遅くすまぬ」
「その声は…お父様!? どうなさったのですか」
扉を開けたリュティアは、そこに意外な光景を見た。
シリウスの背後に、ひどく固い表情をしたラミアード、カイ、リィラが控えていたのだ。それも…三人ともなぜか、荷物を背負い、旅装に身を包んでいる。
リュティアが目を見開き、言葉を失くしていると、シリウスが重々しく告げた。
「急なことだが、リュティア、今すぐにラミアードたちと共にヴァルラムへ向かいなさい。途中、アタナディールには、プリラヴィツェ最強の戦士アクスがいる。アクスは情に厚く、人格も能力も非常に頼りになる男だ。まずはそこへ行き、アクスに護衛を頼むといい」
「今すぐ…ですか?」
「そうだ。時間がない。夜着でなくてよかった。お前は身一つで構わぬ、さあ」
その時リュティアは妙なことに気が付いた。
シリウスの純白の衣が、真っ赤に汚れているのだ。
なぜ…?
何か、とてつもなく嫌な予感がした。
けれど、何が起こっているのか、リュティアには何もわからなかった。
わからないのに、なぜだろう。リュティアの鼓動は早まり、血の気が引いていく。
シリウスは今朝そうしたように、四人の頭を順に撫でた。
愛しげに細められる瞳に、今までに見たことのないような弱々しさが垣間見える。
「お前たちは、私の宝だった―さあ、行きなさい。リュティアを守ってやってくれ」
「父上…!」
ラミアードが今にも泣きそうな声を出した。
リュティアはラミアードに強く手を引かれ、まろびながら走り出す。
なぜ…
疑問が言葉にならない。
何も、いつもと変わらぬはずの夜。
物音ひとつ立たぬ、花園宮の静かな夜。
しかし彼女は目覚めたのだ。悪い夢を見ていたわけでもないというのに。
「何……?」
自らの呟く声が闇に消え、リュティアは急に不安がこみあげてくるのを感じた。
「リィラ! リィラ! いませんか?」
いつもであれば隣室に控えたリィラが呼べばすぐにでも姿を現すというのに、今日は彼女の姿がない。
リュティアは思い立ち、カーテンを開けて窓の外を見た。
そこからはシリウスやラミアードたちが政務をとる白亜の主宮殿が見渡せる。
明かりの灯された主宮殿の回廊に、何か黒っぽいものが蠢いているのが見えた。
「あれは何…?」
嫌な予感がした。
リュティアは何かに突き動かされるように、夜着から普段着のドレスへ着替えた。
(主宮殿に行ってみよう)
花園宮から出るには何人もの門番と鍵をやり過ごさなければならないが、やってやれないことはないことをリュティアは知っている。過去に一度だけ、こっそり主宮殿の庭まで行ったことがあったからだ。
リュティアが部屋を飛び出そうとしたちょうどその時、部屋の扉がノックされた。
「私だ、リュティア。夜分遅くすまぬ」
「その声は…お父様!? どうなさったのですか」
扉を開けたリュティアは、そこに意外な光景を見た。
シリウスの背後に、ひどく固い表情をしたラミアード、カイ、リィラが控えていたのだ。それも…三人ともなぜか、荷物を背負い、旅装に身を包んでいる。
リュティアが目を見開き、言葉を失くしていると、シリウスが重々しく告げた。
「急なことだが、リュティア、今すぐにラミアードたちと共にヴァルラムへ向かいなさい。途中、アタナディールには、プリラヴィツェ最強の戦士アクスがいる。アクスは情に厚く、人格も能力も非常に頼りになる男だ。まずはそこへ行き、アクスに護衛を頼むといい」
「今すぐ…ですか?」
「そうだ。時間がない。夜着でなくてよかった。お前は身一つで構わぬ、さあ」
その時リュティアは妙なことに気が付いた。
シリウスの純白の衣が、真っ赤に汚れているのだ。
なぜ…?
何か、とてつもなく嫌な予感がした。
けれど、何が起こっているのか、リュティアには何もわからなかった。
わからないのに、なぜだろう。リュティアの鼓動は早まり、血の気が引いていく。
シリウスは今朝そうしたように、四人の頭を順に撫でた。
愛しげに細められる瞳に、今までに見たことのないような弱々しさが垣間見える。
「お前たちは、私の宝だった―さあ、行きなさい。リュティアを守ってやってくれ」
「父上…!」
ラミアードが今にも泣きそうな声を出した。
リュティアはラミアードに強く手を引かれ、まろびながら走り出す。
なぜ…
疑問が言葉にならない。