一般人令嬢は御曹司の婚約者
「……で、何が聞きたいの?」

広げたタオルを御曹司の胸に押し付け、ようやく御曹司を正面から見る。
身体を隠す、女の子のようなタオルの巻き方につっこむことはしない。

「そうだ、これを見ろ!」

手を大きく広げ、示されたのは、湯の張っていない大浴場の湯船。

「だから?」

正直な感想だ。

「反応薄いな、これは事件だ! 嫌がらせに違いない! 犯人はおまえだ!」

「いやいや、意味わかんないんですけど!」

立てた右手人差し指は私を向き、左手は胸元のタオルを押さえながら。
そんな格好で、某探偵気取りにどや顔で言われても、説得力の欠片もない。
こんなふざけた探偵気取りに、犯人に仕立て上げられちゃ、たまったもんじゃないわ。
咳払いをしてのどを整えてから口を開く。

「どこでどうなってこんな結論に至ったのか、謎解きをしてもらいましょうか」

私はかけてもいない眼鏡のつるを押し上げる仕草をする。
ほんとにかけていたなら、きらりと光を反射したことだろう。
まずい。
客観的に見たら私、いかにも犯人ですっていう反応した。
御曹司は銜えてもいない煙管を持ち、にやりと口端を吊り上げる。
その様は、無駄に似合っていて。
あんたのほうが悪役に向いてるわ、ヘボ探偵。
心からそう思った。

「いつも来たら入っているはずのお湯が、今日に限って入っていない。屋敷にいたのはお前ひとり。となると、これはお前しかありえないんだ! 風呂のお湯を抜いただろう」

「誰がそんなもったいない真似をするものですか!」

大きな湯船にいっぱいのお湯。
たった1回の入浴に何日分のお湯を使っていることか。
顔面蒼白、血の気が引くわ。

「だったら、他に誰が犯人だというんだ!」

「誰もいないからこそお湯がない。定石ね。これはあんたの自業自得です! 四六時中熱いお湯が入ってるものだと思うなよボンボン!」

一般家庭は湯を垂れ流しになんてしていない。
毎日少量のお湯を溜める為だけに、毎日湯船を掃除する。
お湯が冷めないうちに大挙して入るが、それが叶わなかった時に限り、追い炊きという素晴らしい機能を駆使して、日々熱い湯の恩恵を受けているのだ。

「なん、だと……」

御曹司の背後に雷が落ちた。
衝撃の事実。

………って、本気で言ってるの?

「だって、俺が来たときにはいつも……」

「それはメイドの努力です。毎日この無駄に広いここを掃除しています」

そして、御曹司が入るころには丁度いい水かさになるような時間配分がされています。
経験者は語る。
汗水洗剤たらしながら走り回っています。
これほど時間に追われる仕事はあまりない。
しかも毎日。

休暇組いいなー。
マスターのもとに里帰りしたい。
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