一般人令嬢は御曹司の婚約者
………ま、無理でしょうけれど。

草薙の敷地を一歩出れば、そこは祝前の監視つき。
ここは檻の中でありながら、自由であるという矛盾した場所。
それもすべては、目の前のアホ御曹司の寛大さのなせる業、なんだけど。

カルチャーショックを受けて混乱している御曹司を、視界の端に捕らえる。

こんなののお陰でまともな生活を送れていると思うと、自分がとても情けない。
これが親の権力というやつか。
私を良いように使う祝前が敵わない相手。
町の一角に佇む小さな珈琲店店主なんて論外だ。
話にならない。

助けて欲しいとは思わない。
これ以上マスターに迷惑をかけたくないから。
ここでの生活も存外気に入っている。
ただ、今朝の夢といい、御曹司の変態が感染した気がすることが重要な問題なのだ。

『その御曹司くんのことが大好きなんだね』

電話越しのマスターの声を思い出し、顔が一気に熱くなる。
マスター、変なこと言わないでください。
確かに遭いたかったですけど、もっと別の言葉はなかったんですか。
記憶の中のマスターに文句を言っても、からからと笑うだけ。
引っ込んでくださいマスター。
頭をぶんぶんと振り、マスターをはじき出す。

「なに百面相してんだよ。入るぞ」

変なものを見る目で御曹司に見られた。
変な奴に変って思われた。

自称常識人な私は、ショックで行動停止を起こす。

女の子のようなタオルの使い方をしてる御曹司に、一般常識ってもんが欠落している御曹司に……。
ちくしょう!

「ってか、なんで私も一緒に入るみたいに言ってるのよ」

「当然だろ、監視役なんだから。人の風呂を堂々と覗く変態さん」

瞬間、ぷっちんと堪忍袋の緒が切れた。

「……だ…………誰が覗かせてると思ってんのよ!」

命令だから仕方なく、よ。
そうじゃなければ、誰があんたなんか!

私の渾身の叫びは音響のいい大浴場で威力倍増。
御曹司の耳に大ダメージを与えるに至った。
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