一般人令嬢は御曹司の婚約者
「ちっ、やっぱ浸からないとあったまんねぇな」
大浴場を出て、部屋に戻る途中の御曹司からこんな言葉を聞いた。
「だったら入ればよかったじゃないですか」
御曹司は結局、シャワーを浴びただけだった。
「嫌だ。掃除なんかやってられっか」
「私達はそれを毎日していますが」
「好きでやってんのを俺が止める理由はないね」
「仕事でやってるんです」
「嫌ならやめちまえ」
「仕事なめんな! 生活がかかってるんだから」
そんなこんな話しているうちに、部屋に着く。
「腹減ったー飯ー」
言いながら開けるが、そこにはご飯のごの字も存在しない。
御曹司が再び私に説明を求める。
「お食事が勝手に出てくるはずがないでしょう」
「嘘だろ」
「どこに嘘をつく理由がありますか」
私は御曹司を厨房に案内する。
「ここでシェフが調理し、メイドが隆雄様のお部屋に運んでいます」
「へー」
新入り使用人が、家人に屋敷内を案内しているという不思議な図が出来上がった。
私は大型冷蔵庫を開けて、目の前にあったきゅうりを取り、御曹司に突きつける。
「ひとりで生きていくのでしょう? 料理くらいできませんと」
得意の営業スマイルで挑発した。
単細胞な御曹司はこれに乗り。
「やってやろうじゃねぇか!」
きゅうりをひったくった御曹司は、それを振り下ろし台に叩きつけた。
折れたきゅうりの先が宙を舞い、床に落下。
「あー!」
何やってんのもったいない。
私は思わず叫んだ。
御曹司は構わずきゅうりを台に向かって振り下ろし続け、折れたきゅうりが次々と宙に飛び散る。
「やめたげてー。きゅうりに何の恨みがあるのよ」
落ちたきゅうりを拾い集め、御曹司に静止の声をかける。
「何って、料理だ。なかなか上手く折れない」
「あらあら流石、わかってらっしゃる。野菜にはあまり包丁を入れないほうがいいってね……」
「さすがは俺。初めてで料理の才能抜群!」
そして冷蔵庫から大量のきゅうりを取り出し、再び台に叩きつけ始める。
折れ、跳び、落ちる。
褒めてない、あきれている。
御曹司よ、今一度問う。
あんたは、こんな大量のきゅうりで何をしようとしているのだ。
最後に宙を舞ったきゅうりが、私の額に直撃した。