クラッシュ・ラブ
数冊の本を手にしたまま、作業に没頭してるセンセを少しの間見ていたけど、今回ばかりは本当に返事が返ってこないっぽい。
まぁ、状況が状況だし、仕方ないよね。カズくんもああ言ってたことだし。
視線をユキセンセから、手元に戻そうとした途中に、センセのカップに目が止まる。
今朝、淹れたはずのものがそのまま残っていた。
静かにソファに腰をおろし、テーブルの上に本を置く。
背表紙を確認して、一巻を手にする。その数字の下に、『春野ユキ』と書かれていた。
はるの、ゆき? て、これがユキセンセの名前なんだ。へぇ……いや、でもこれは本名なのかどうなのか。
表紙を向けると、タイトル名は『reach(リーチ)』。
ここに来て、原稿をちらっと見たときから思ってたけど。ユキセンセの絵って、男くさくなくて、女子でも入り込みやすそう。
わたしは、ぱらっと扉を捲り、普段はあまり読むことのない漫画を読み始めた。
初めこそ、色々な不安を感じながら表紙を開いていた。
あまり好みのものじゃなかったら……とか、自分の中のユキセンセのイメージが壊れちゃったら、とか。
この作品を見てしまうことで、彼に対する見方が、なにかしら崩れてしまうことが怖かった。
――でも。
反面、彼の仕事を……ユキセンセという人を覗ける気がして。
そうしてわたしは、後者の思いが勝って、一ページ、また一ページとページを捲った。
漫画を読むのが早いのか遅いのか。自分でどうなのか、よくわかんない。
ただ、わたしは確実に、ユキセンセの紡いでいる世界に惹きこまれていた。
さっきまで、単純に、『綺麗な絵を描く人だなぁ』と、目の前の原稿に対して思っていた。
だけど、それだけじゃなくなってしまった。
わたしには、うまく表現できないけれど。
拙い言葉で懸命に説明するならば。
ユキセンセという人は、漫画を描くことが心から好きだと思う。
そして、たぶん、どんな人にも寄り添いたいって思ってる人なのかなぁと感じた。
こういうのって、綺麗事って思う人もいるかもしれない。
だけど、わたしは、ユキセンセの描く“綺麗事”に心を鷲掴みされた。