そのとき僕は
僕はゆっくりと止めていた呼吸を開始する。それから、そろそろと彼女の両手の中から自分の右手を引っ張り出した。
「知らないよ」
ふふふ、とまた目を細めて彼女が笑う。そして、自分の頭に張り付いた桜の花びらを落とすために、頭を犬みたいに振り出した。
「あたしねえ、おじいちゃんが亡くなった時の事、覚えてる。命がなくなると、人間の体って本当に冷たいの。氷みたいに、本当に冷たくなるのよ。あれは悲しかった・・・。ねえ、あたしは温かかったでしょー?」
うん、と小声で返した。最後まで強情に張り付いていた花びらを指で摘んで、彼女はそれに息を吹きかけて飛ばす。それを視線で追いかけながら言った。
「・・・だから、あたしは生きてるよ」
僕はまだ若干呆然としながら、自分の右手を見下ろす。
十分な水分を含んでしっとりとした皮膚の感触。そしてあの温かさ。まだ若くて、弾けるような生命力を感じさせる、彼女の手のひら。
驚いた。
だけど、振りほどけなかった。
物凄く後ろ髪引かれながら、何とか引っ張り出した右手。
・・・もう少し、触れていたかった。
カッと顔が熱くなったのが判った。風が吹くほうへ向かって体の向きを変える。うわあああ~・・・冷静に、冷静になれ。ただちょっと握手をしただけじゃないか、もう!握手だよ握手。何だってんだ、本当に・・・。
一人でワタワタする僕の後ろ、何てことなかったように、彼女は伸び上がって桜の木を見上げている。
そして呟いた。
「葉がたくさん出てきてる」
その声が少しばかり寂しそうで、僕は直視できそうもなかった。だから、振り返らなかった。
「桜ももう、終わりだね」