忠犬カノジョとご主人様
“今日は残業で遅くなる、ごめんね”。
あの日クルミからメッセージがきた時、俺は予約していたお店の確認をしたあとだった。
そうか、サプライズ前にはこういう予想外のことが起こることもあるんだな、と俺は一人納得していた。
俺が今できることは、とりあえずお店をキャンセルして、家で祝う方向に変更して、クルミの仕事を手伝いに行くことだった。
そう思ってクルミの元へ向かったら、暗いオフィスの中一人の男と一緒にいるクルミがいた。
「クルミ」
名前を呼ぼうとしたけど、声にならなかった。
俺が今できることはなんだろう。
暗がりにいる二人を見ながら、俺は感情的になる前に考えた。
そして結果を出した。
まずクルミ自身から事情を聞くことだ。
ここで感情的にならないことが、今の俺にできるたったひとつのこと。
そう思って、静かにその場を立ち去った。
……のに、あのバカクルミが泣きながら俺にキスをしてさよならとか言いだすもんだから必死におさえていた感情が爆発してしまった。
ていうかまずあの男誰だよ。
どこの部署の奴だよ。
なんで電気消してんだよ。
「海空くん、眉間のしわ凄いよ」
「え」
「鬼のような顔だったよ」
「すみません、気を付けます。今日コンタクトを落としてしまって……」
「はは、それは一日辛いなあ」
「今日は眼鏡で仕事をしようと思います」
通りすがった課長が、とんとんと自分の眉間を人差し指でつついて注意した。
俺はハッとして、瞬時に表情を仕事モードに戻した。そしてコンタクトなど落としていないがさっと眼鏡をかけた(あとでコンタクトを取らなくては)。
ちなみにこのハゲ……間違った、課長は入社したての頃圧迫面接まがいなことをしょっちゅうしてきたし死ぬほど怒られたりもした。
けれど俺が必死に媚売って気に入られようと頑張ったので、今では普通に会話できるレベルにはなったし、食事にもたまに誘ってくれる。